毛馬橋と遺徳千歳碑
長柄八幡宮
の次に訪れたのは毛馬橋
以前訪れた
毛馬橋と毛馬橋之碑
と反対の方向から進んでみました
毛馬水門が遠くに見えます
次回は行ってやるぞ~
通っていると 東北詰に遺徳千歳というものがありました
藤沢南岳の撰文によって刻まれた碑で
大正4年(1915年)11月に建てられているそうですが
読めませんでした
次は与謝蕪村句碑①与謝蕪村生誕顕彰公園 へ
の次に訪れたのは毛馬橋
以前訪れた
毛馬橋と毛馬橋之碑
と反対の方向から進んでみました
毛馬水門が遠くに見えます
次回は行ってやるぞ~
通っていると 東北詰に遺徳千歳というものがありました
藤沢南岳の撰文によって刻まれた碑で
大正4年(1915年)11月に建てられているそうですが
読めませんでした
次は与謝蕪村句碑①与謝蕪村生誕顕彰公園 へ
豊崎北公園
豊崎神社 摂社 鹿島神社
の次に訪れたのは 北上して
大阪市北区豊崎6-13にあります
豊崎北公園
こんな所に公園があると思っていなかったので
驚きました
何も無ければ写真も撮らなかったのですが
円形の煉瓦の壁のようなものがあったので
面白そうで撮影してみました
砂場と公園の外を隔離しているのかなぁ~
公園にこんなのがあったらちょっと面白いですよね
次は長柄公園 へ
の次に訪れたのは 北上して
大阪市北区豊崎6-13にあります
豊崎北公園
こんな所に公園があると思っていなかったので
驚きました
何も無ければ写真も撮らなかったのですが
円形の煉瓦の壁のようなものがあったので
面白そうで撮影してみました
砂場と公園の外を隔離しているのかなぁ~
公園にこんなのがあったらちょっと面白いですよね
次は長柄公園 へ
豊崎神社 摂社 鹿島神社
豊崎神社 恵比須神社
の次に訪れたのは
同じく大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります
豊崎神社 摂社 鹿島神社
鳥居をくぐって
さらに鳥居があり
茨城県鹿嶋市宮中2306-1にある鹿島神宮が
鹿島神社の総本山だそうです
次は豊崎北公園 へ
の次に訪れたのは
同じく大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります
豊崎神社 摂社 鹿島神社
鳥居をくぐって
さらに鳥居があり
茨城県鹿嶋市宮中2306-1にある鹿島神宮が
鹿島神社の総本山だそうです
次は豊崎北公園 へ
豊崎神社 恵比須神社
豊崎神社 東照宮社
の次に訪れたのは
大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります
恵比須神社
これは名前を控え忘れてきたのでたぶん恵比須神社だろう
と曖昧ですみません
でも 東照宮社 よりもこっちの方が立派に見えるなぁ
次は豊崎神社 摂社 鹿島神社 へ
の次に訪れたのは
大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります
恵比須神社
これは名前を控え忘れてきたのでたぶん恵比須神社だろう
と曖昧ですみません
でも 東照宮社 よりもこっちの方が立派に見えるなぁ
次は豊崎神社 摂社 鹿島神社 へ
豊崎神社 東照宮社
豊崎神社 稲荷神社
の次に訪れたのは
大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります東照宮社
稲荷神社 の左隣にあります
元は近くの民家に祀られていたもので、
明治40年(1907年)に豊崎神社境内に遷された
相殿には厳島神社が合祀されているそうです
流れはこんな感じ
元和2年(1616年)川崎東照宮創建
安永5年(1776年)本庄杉山の足立家邸宅内へ鎮守として東照宮が勧請
明治5年(1872年)豊崎神社が村社に列せられる
明治6年(1873年)廃社
明治40年(1907年)廃社後も「権現まつり」はこの年まで続く
明治40年(1907年)南長柄の村社の八幡神社を本殿に合祀
同時に東照宮を境内に遷し、相殿として厳島神社を東照宮に合祀。
昭和57年(1982年)萩の寺の古文書により廃社直前に遷座されていることが判明
次は豊崎神社 恵比須神社 へ
大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります東照宮社
稲荷神社 の左隣にあります
元は近くの民家に祀られていたもので、
明治40年(1907年)に豊崎神社境内に遷された
相殿には厳島神社が合祀されているそうです
流れはこんな感じ
元和2年(1616年)川崎東照宮創建
安永5年(1776年)本庄杉山の足立家邸宅内へ鎮守として東照宮が勧請
明治5年(1872年)豊崎神社が村社に列せられる
明治6年(1873年)廃社
明治40年(1907年)廃社後も「権現まつり」はこの年まで続く
明治40年(1907年)南長柄の村社の八幡神社を本殿に合祀
同時に東照宮を境内に遷し、相殿として厳島神社を東照宮に合祀。
昭和57年(1982年)萩の寺の古文書により廃社直前に遷座されていることが判明
次は豊崎神社 恵比須神社 へ
東平北公園 甦るわが街記念碑
薄田 泣詩碑 金剛山の歌
と同じく
大阪市中央区上本町西4-1-22にあります
東平北公園
公園の様子はこんな感じです
薄田 泣詩碑 金剛山の歌 の後ろにあった
甦るわが街 祈念碑
甦るわが街
昭和20年3月 このあたりは第2次世界大戦により
焦土と化しました
焼跡の瓦礫の中で昭和21年9月
明日へのまちづくりを目指して
南東平高津地区復興土地区画整理事業が興されました
以来30有余年 地元関係者のご協力を得て道路 公園等
を整備し 昭和57年1月31日事業を完了しました
ここに多くの人々の熱意と努力に感謝し
本地区の一層の発展を願い
記念の碑とします
歴史は積み重なっていくものだけど
良くも悪くもこんな事があったんだよ~と言うことは
知っておかないと と思います
地元を愛するが故に知りたいと思うのでしょうね
大阪市中央区上本町西4-1-22にあります
東平北公園
公園の様子はこんな感じです
薄田 泣詩碑 金剛山の歌 の後ろにあった
甦るわが街 祈念碑
甦るわが街
昭和20年3月 このあたりは第2次世界大戦により
焦土と化しました
焼跡の瓦礫の中で昭和21年9月
明日へのまちづくりを目指して
南東平高津地区復興土地区画整理事業が興されました
以来30有余年 地元関係者のご協力を得て道路 公園等
を整備し 昭和57年1月31日事業を完了しました
ここに多くの人々の熱意と努力に感謝し
本地区の一層の発展を願い
記念の碑とします
歴史は積み重なっていくものだけど
良くも悪くもこんな事があったんだよ~と言うことは
知っておかないと と思います
地元を愛するが故に知りたいと思うのでしょうね
薄田 泣詩碑 金剛山の歌
庭 南遊個展-空の在り処- in 楓ギャラリー
の次に訪れたのは
大阪市中央区上本町西4-1-22にあります
東平北公園
そこで見つけ詩碑 金剛山の歌
詩歌碑を見つけたのは 新町北公園 の
百田宗治詩碑 何もない庭 以来かなぁ
ああ わが丈よ 5千尺
脚は下なる野を踏みて
頭は高く雲に入る
そのかみ闇のとろろぎの
2に別れたる初めより
山と聳ゆる大悦を
自然よ 君に捧ぐると
今歳この春若やぎて
どよみわたりぬ金剛山
薄田 泣菫とは
1877年(明治10年) 岡山県に生まれ
若くして大阪に出た 高踏な象徴詩で明治後期を代表する詩人となる
この詩は寄宿した上町の本長寺辺から見た
金剛山の雄志に感動して歌い上げた
いつの時代も自然の雄大さには感動しますよね
今も昔も変わらぬということで
次は東平北公園 甦るわが街記念碑 へ
の次に訪れたのは
大阪市中央区上本町西4-1-22にあります
東平北公園
そこで見つけ詩碑 金剛山の歌
詩歌碑を見つけたのは 新町北公園 の
百田宗治詩碑 何もない庭 以来かなぁ
ああ わが丈よ 5千尺
脚は下なる野を踏みて
頭は高く雲に入る
そのかみ闇のとろろぎの
2に別れたる初めより
山と聳ゆる大悦を
自然よ 君に捧ぐると
今歳この春若やぎて
どよみわたりぬ金剛山
薄田 泣菫とは
1877年(明治10年) 岡山県に生まれ
若くして大阪に出た 高踏な象徴詩で明治後期を代表する詩人となる
この詩は寄宿した上町の本長寺辺から見た
金剛山の雄志に感動して歌い上げた
いつの時代も自然の雄大さには感動しますよね
今も昔も変わらぬということで
次は東平北公園 甦るわが街記念碑 へ






