E-smile まっつんの日常 -1815ページ目

毛馬橋と遺徳千歳碑

長柄八幡宮
の次に訪れたのは毛馬橋
以前訪れた
毛馬橋と毛馬橋之碑
と反対の方向から進んでみました

E-smile 街・遊歩人 まっつんの日常

毛馬水門が遠くに見えます
次回は行ってやるぞ~


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通っていると 東北詰に遺徳千歳というものがありました
藤沢南岳の撰文によって刻まれた碑で
大正4年(1915年)11月に建てられているそうですが
読めませんでした

次は与謝蕪村句碑①与謝蕪村生誕顕彰公園

長柄八幡宮

長柄公園
大阪市北区長柄中1-4-25にあります
長柄八幡宮

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先日淀川神社
に行った時に
ココは素通りしてしまったので
この日こそは行こうと思ってました

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鳥居をくぐって中へ

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1296年(永仁4年)に山城国の石清水八幡宮から神体を勧請して
祀ったのが起源とされており
1610年(慶長15年)に片桐且元が本殿・幣殿・拝殿を改築したそうです

次は 毛馬橋と遺徳千歳碑

長柄公園

豊崎北公園
の次に訪れたのは
大阪市北区長柄西2-7にあります
長柄公園

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途中に通った 本庄公園の方が断然大きいんだけど

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遊具に反応してしまいました
このすべり台
パンダさんなんですよ
このちょっと手作り感が良いなぁ~と思って思わず撮影

次は 長柄八幡宮



豊崎北公園

豊崎神社 摂社 鹿島神社
の次に訪れたのは 北上して
大阪市北区豊崎6-13にあります
豊崎北公園

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こんな所に公園があると思っていなかったので
驚きました
何も無ければ写真も撮らなかったのですが

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円形の煉瓦の壁のようなものがあったので
面白そうで撮影してみました
砂場と公園の外を隔離しているのかなぁ~
公園にこんなのがあったらちょっと面白いですよね

次は長柄公園

豊崎神社 摂社 鹿島神社

豊崎神社 恵比須神社
の次に訪れたのは
同じく大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります
豊崎神社 摂社 鹿島神社

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鳥居をくぐって

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さらに鳥居があり

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茨城県鹿嶋市宮中2306-1にある鹿島神宮が
鹿島神社の総本山だそうです

次は豊崎北公園


豊崎神社 恵比須神社

豊崎神社 東照宮社
の次に訪れたのは
大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります
恵比須神社

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これは名前を控え忘れてきたのでたぶん恵比須神社だろう
と曖昧ですみません

でも 東照宮社 よりもこっちの方が立派に見えるなぁ

次は豊崎神社 摂社 鹿島神社

豊崎神社 東照宮社

豊崎神社 稲荷神社 の次に訪れたのは
大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります東照宮社

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稲荷神社 の左隣にあります

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元は近くの民家に祀られていたもので、
明治40年(1907年)に豊崎神社境内に遷された
相殿には厳島神社が合祀されているそうです

流れはこんな感じ
元和2年(1616年)川崎東照宮創建
安永5年(1776年)本庄杉山の足立家邸宅内へ鎮守として東照宮が勧請
明治5年(1872年)豊崎神社が村社に列せられる
明治6年(1873年)廃社
明治40年(1907年)廃社後も「権現まつり」はこの年まで続く
明治40年(1907年)南長柄の村社の八幡神社を本殿に合祀
同時に東照宮を境内に遷し、相殿として厳島神社を東照宮に合祀。
昭和57年(1982年)萩の寺の古文書により廃社直前に遷座されていることが判明

次は豊崎神社 恵比須神社

豊崎神社 稲荷神社

豊崎神社
の次に訪れたのは
大阪市北区豊崎6-6-4
豊崎神社 境内にあります稲荷神社

E-smile 街・遊歩人 まっつんの日常

鳥居を入ってすぐ右手に赤い鳥居が見えます

E-smile 街・遊歩人 まっつんの日常

自然が多いためか
すごく静かな場所でした

狐さんものんびりとしているのかなぁ~

次は豊崎神社 東照宮社

東平北公園 甦るわが街記念碑

薄田 泣詩碑 金剛山の歌 と同じく
大阪市中央区上本町西4-1-22にあります
東平北公園

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公園の様子はこんな感じです

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薄田 泣詩碑 金剛山の歌  の後ろにあった
甦るわが街 祈念碑


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甦るわが街

昭和20年3月 このあたりは第2次世界大戦により
焦土と化しました
焼跡の瓦礫の中で昭和21年9月
明日へのまちづくりを目指して
南東平高津地区復興土地区画整理事業が興されました

以来30有余年 地元関係者のご協力を得て道路 公園等
を整備し 昭和57年1月31日事業を完了しました

ここに多くの人々の熱意と努力に感謝し
本地区の一層の発展を願い
記念の碑とします


歴史は積み重なっていくものだけど
良くも悪くもこんな事があったんだよ~と言うことは
知っておかないと と思います
地元を愛するが故に知りたいと思うのでしょうね


薄田 泣詩碑 金剛山の歌

庭 南遊個展-空の在り処- in 楓ギャラリー
の次に訪れたのは
大阪市中央区上本町西4-1-22にあります
東平北公園

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そこで見つけ詩碑 金剛山の歌

詩歌碑を見つけたのは 新町北公園
百田宗治詩碑 何もない庭 以来かなぁ

E-smile 街・遊歩人 まっつんの日常

ああ わが丈よ 5千尺
脚は下なる野を踏みて
頭は高く雲に入る

そのかみ闇のとろろぎの
2に別れたる初めより
山と聳ゆる大悦を
自然よ 君に捧ぐると
今歳この春若やぎて
どよみわたりぬ金剛山

E-smile 街・遊歩人 まっつんの日常

薄田 泣菫とは
1877年(明治10年) 岡山県に生まれ
若くして大阪に出た 高踏な象徴詩で明治後期を代表する詩人となる

この詩は寄宿した上町の本長寺辺から見た
金剛山の雄志に感動して歌い上げた

いつの時代も自然の雄大さには感動しますよね
今も昔も変わらぬということで

次は東平北公園 甦るわが街記念碑