海老江八坂神社 明治28年戦役祈念碑
海老江八坂神社 ゑびす神社
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
海老江八坂神社 明治28年戦役祈念碑
こちらも日露戦争関連ですね
大阪福島天満宮 表忠碑 の時にも書きましたが
戦争関連の碑は多いんですね~
仕事から帰っている途中で色々見つけていますが
写真におさめていないので忘れてしまいそうです
次は羽間文庫 へ
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
海老江八坂神社 明治28年戦役祈念碑
こちらも日露戦争関連ですね
大阪福島天満宮 表忠碑 の時にも書きましたが
戦争関連の碑は多いんですね~
仕事から帰っている途中で色々見つけていますが
写真におさめていないので忘れてしまいそうです
次は羽間文庫 へ
海老江八坂神社 ゑびす神社
海老江八坂神社 淡嶋大神八大龍王
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
海老江八坂神社 ゑびす神社
八坂神社だけに
京都から来たのかなぁ
次は 海老江八坂神社 明治28年戦役祈念碑 へ
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
海老江八坂神社 ゑびす神社
八坂神社だけに
京都から来たのかなぁ
次は 海老江八坂神社 明治28年戦役祈念碑 へ
海老江八坂神社 淡嶋大神八大龍王
海老江八坂神社 摂社 豊里稲荷神社
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
淡嶋大神八大龍王
和歌山市加太の淡嶋神社
と何か関係があるのかなぁ
西念時 伝法天神
の時もそうだったけど
龍王とつくと水と関係しているんだよね
西成大橋碑
もあることから
川に関係するのかなぁ
次は海老江八坂神社 ゑびす神社 へ
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
淡嶋大神八大龍王
和歌山市加太の淡嶋神社
と何か関係があるのかなぁ
西念時 伝法天神
の時もそうだったけど
龍王とつくと水と関係しているんだよね
西成大橋碑
もあることから
川に関係するのかなぁ
次は海老江八坂神社 ゑびす神社 へ
海老江八坂神社 摂社 豊里稲荷神社
海老江八坂神社 倶利伽羅不動明王
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
海老江八坂神社 摂社 豊里稲荷神社
名前だけ見ていても
豊かな感じがありありと
拝殿のお隣にあります
お稲荷さんはいつ見ても和むのは
何かあるのかなぁ
次は海老江八坂神社 淡嶋大神八大龍王 へ
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
海老江八坂神社 摂社 豊里稲荷神社
名前だけ見ていても
豊かな感じがありありと
拝殿のお隣にあります
お稲荷さんはいつ見ても和むのは
何かあるのかなぁ
次は海老江八坂神社 淡嶋大神八大龍王 へ
海老江八坂神社 倶利伽羅不動明王
海老江八坂神社 松瀬青々句碑
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
倶利伽羅不動明王
倶利伽羅不動明王は、悉地明王とも言われ
願望成就の守護神であり、
延命の不動明王として霊験あらたかとされているそうです
どうしてココにあるのか不思議です
次は海老江八坂神社 摂社 豊里稲荷神社 へ
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
倶利伽羅不動明王
倶利伽羅不動明王は、悉地明王とも言われ
願望成就の守護神であり、
延命の不動明王として霊験あらたかとされているそうです
どうしてココにあるのか不思議です
次は海老江八坂神社 摂社 豊里稲荷神社 へ
海老江八坂神社 松瀬青々句碑
西成大橋碑
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
松瀬青々句碑
松瀬青々生誕の地碑 以来ですね
ココには 菜の花や はじめや北に雪の山 と書かれています
菜の花畑をとおし、雪をいだいた六甲山を望み詠んだもので
このあたり一面に菜の花畑があって
六甲山も見えていた事を表しています
菜の花畑見たかったなぁ~とちょっと思う今日この頃
次は海老江八坂神社 倶利伽羅不動明王 へ
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
松瀬青々句碑
松瀬青々生誕の地碑 以来ですね
ココには 菜の花や はじめや北に雪の山 と書かれています
菜の花畑をとおし、雪をいだいた六甲山を望み詠んだもので
このあたり一面に菜の花畑があって
六甲山も見えていた事を表しています
菜の花畑見たかったなぁ~とちょっと思う今日この頃
次は海老江八坂神社 倶利伽羅不動明王 へ
西成大橋碑
海老江八坂神社 天皇陛下御在位60年記念碑
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
西成大橋碑
新淀川が開削される前は、付近を中津川が流れており、
左岸の塚本村と右岸の野里村を隔てていた
ここには江戸時代前期には「野里の渡し」があった
大阪から尼崎へ至る街道の渡しとして、
西国往来の旅人や尼崎・西宮・兵庫の商人などの通行で賑わいました
明治9年になって私設橋が架設されますが、
新淀川が開削されるとともに、全長404間の西成大橋がその役割を引き継ぎます
十三橋と長柄橋と共に完成したのが西成大橋です
この場所は当時は西成郡に属していましたので、このように命名されたものと思われます
西成大橋は明治40年(1907年)10月に着工され、41年(1908年)12月に竣工しました
完成とともに野里の渡し は役目を終えた
長さ735m、有効幅員約5.5mの規模をもつ鋼桁橋で、
工費は13万5300円を要したと記録されています
西成大橋は幅が18尺しかなく
阪神国道開通に伴って大正15年(1926年)に現在の淀川大橋に換えられた
このような橋があったとは驚きです
次は 海老江八坂神社 松瀬青々句碑 へ
の次に訪れたのは
同じく大阪市福島区海老江6-4-2
海老江八坂神社 内にあります
西成大橋碑
新淀川が開削される前は、付近を中津川が流れており、
左岸の塚本村と右岸の野里村を隔てていた
ここには江戸時代前期には「野里の渡し」があった
大阪から尼崎へ至る街道の渡しとして、
西国往来の旅人や尼崎・西宮・兵庫の商人などの通行で賑わいました
明治9年になって私設橋が架設されますが、
新淀川が開削されるとともに、全長404間の西成大橋がその役割を引き継ぎます
十三橋と長柄橋と共に完成したのが西成大橋です
この場所は当時は西成郡に属していましたので、このように命名されたものと思われます
西成大橋は明治40年(1907年)10月に着工され、41年(1908年)12月に竣工しました
完成とともに野里の渡し は役目を終えた
長さ735m、有効幅員約5.5mの規模をもつ鋼桁橋で、
工費は13万5300円を要したと記録されています
西成大橋は幅が18尺しかなく
阪神国道開通に伴って大正15年(1926年)に現在の淀川大橋に換えられた
このような橋があったとは驚きです
次は 海老江八坂神社 松瀬青々句碑 へ

