□ 平野川の使い場
樟本神社(北木の本)
の次に訪れたのは
平野川の使い場
場所ははっきり分からなくてすみません
きっと川沿いです
案内板にはこう書かれてありました
平野川沿いの村で
物資の揚げ降ろしをした場所で
かつては各村ごとにあったが姿を消し
近年では 北木の本の使い場が当時の名残をとどめており
今回の改修工事で整備された
昔は川を使っていたことが分かりますね
次は柏原船 へ
の次に訪れたのは
平野川の使い場
場所ははっきり分からなくてすみません
きっと川沿いです
案内板にはこう書かれてありました
平野川沿いの村で
物資の揚げ降ろしをした場所で
かつては各村ごとにあったが姿を消し
近年では 北木の本の使い場が当時の名残をとどめており
今回の改修工事で整備された
昔は川を使っていたことが分かりますね
次は柏原船 へ
□ 樟本神社(北木の本)
南太子堂公園
の次に訪れたのは
八尾市北木の本5-73
にあります
樟本神社(北木の本)
鳥居を通り
あっ その前に名前を確認
さらに 鳥居のようなもの
社殿
案内板にはこう書かれてありました
当神社は延喜7年(907年)の
延喜式神名帳に
樟本神社3座の1つとして
記載されている式内社である
大和時代 用明天皇の御代
この付近一帯は物部氏の住地であった
物部守屋の本拠地である
稲城の守護神として崇められていた布都大神 を
布都大明神として奉祀されたものと伝えられている
紀・記・古伝によると
悪疫邪霊を祓い病気平癒 又 鍬 靫を司る農神
武の神として広く村民の崇敬を受け
現在に至っている
境内に物部守屋の首を洗ったと伝わる
直径約3mの池がある
守屋池 も確か首を洗ったところだったはず
いくつも洗ったのかなぁ
次は平野川の使い場 へ
の次に訪れたのは
八尾市北木の本5-73
にあります
樟本神社(北木の本)
鳥居を通り
あっ その前に名前を確認
さらに 鳥居のようなもの
社殿
案内板にはこう書かれてありました
当神社は延喜7年(907年)の
延喜式神名帳に
樟本神社3座の1つとして
記載されている式内社である
大和時代 用明天皇の御代
この付近一帯は物部氏の住地であった
物部守屋の本拠地である
稲城の守護神として崇められていた布都大神 を
布都大明神として奉祀されたものと伝えられている
紀・記・古伝によると
悪疫邪霊を祓い病気平癒 又 鍬 靫を司る農神
武の神として広く村民の崇敬を受け
現在に至っている
境内に物部守屋の首を洗ったと伝わる
直径約3mの池がある
守屋池 も確か首を洗ったところだったはず
いくつも洗ったのかなぁ
次は平野川の使い場 へ
□ 南太子堂公園
弓代塚碑
の次に訪れたのは
八尾市南太子堂3丁目
にあります
南太子堂公園
こんな感じの公園です
ただ 香りのする公園とあったのです・・・
それが気になって 気になって
ツアー途中に写真を撮影!
たぶん この草花たちだろう ということで落ち着きました
虫や鳥たちが寄ってくるのかなぁ
次は 樟本神社(北木の本) へ
の次に訪れたのは
八尾市南太子堂3丁目
にあります
南太子堂公園
こんな感じの公園です
ただ 香りのする公園とあったのです・・・
それが気になって 気になって
ツアー途中に写真を撮影!
たぶん この草花たちだろう ということで落ち着きました
虫や鳥たちが寄ってくるのかなぁ
次は 樟本神社(北木の本) へ
□ 鏑矢塚
物部守屋墓
の次に訪れたのは
八尾市南太子堂3-1
あたりにあります
鏑矢塚
案内板にはこう書かれてありました
用明2年(587年)に厩戸皇子(聖徳太子)
をはじめとする皇子達と蘇我馬子らは
渋河の地で物部守屋の軍勢と戦います
稲城を築き 榎木の上から弓を放つ守屋に
苦戦した皇子らは3度退却しますが
四天王を祈願すると 迹見赤檮の放った矢が守屋を討ち
皇子と馬子らは勝利したと 「日本書紀」に記されています
大聖勝軍寺の周辺にはそうした史跡が残されており
鏑矢塚は 迹見赤檮が守屋を射た矢を埋めたと
「大聖勝軍寺略縁起」(1455年)は伝えています
鏑矢とは 先端が植物の
「かぶら」のような形をしている矢のことです
「日本書記」 にはみられませんが
太子信仰や八尾の歴史を考えるうえで重要です
次は弓代塚碑 へ
の次に訪れたのは
八尾市南太子堂3-1
あたりにあります
鏑矢塚
案内板にはこう書かれてありました
用明2年(587年)に厩戸皇子(聖徳太子)
をはじめとする皇子達と蘇我馬子らは
渋河の地で物部守屋の軍勢と戦います
稲城を築き 榎木の上から弓を放つ守屋に
苦戦した皇子らは3度退却しますが
四天王を祈願すると 迹見赤檮の放った矢が守屋を討ち
皇子と馬子らは勝利したと 「日本書紀」に記されています
大聖勝軍寺の周辺にはそうした史跡が残されており
鏑矢塚は 迹見赤檮が守屋を射た矢を埋めたと
「大聖勝軍寺略縁起」(1455年)は伝えています
鏑矢とは 先端が植物の
「かぶら」のような形をしている矢のことです
「日本書記」 にはみられませんが
太子信仰や八尾の歴史を考えるうえで重要です
次は弓代塚碑 へ
□ 守屋池
太子植髪像と四天王像
に引き続き
八尾市太子堂3-3-16
にあります
大聖勝軍寺
次は 守屋池
資料にはこう書かれてありました
勝軍寺の門前にある小さな池
聖徳太子が迹見赤檮の鏑矢をもって
物部守屋を射させたところ
その矢が守屋の胸にあたり
秦川勝がその首をとって
ここの池で洗って
大使の見参に入れたという
次は物部守屋墓 へ
に引き続き
八尾市太子堂3-3-16
にあります
大聖勝軍寺
次は 守屋池
資料にはこう書かれてありました
勝軍寺の門前にある小さな池
聖徳太子が迹見赤檮の鏑矢をもって
物部守屋を射させたところ
その矢が守屋の胸にあたり
秦川勝がその首をとって
ここの池で洗って
大使の見参に入れたという
次は物部守屋墓 へ







