E-smile まっつんの日常 -1594ページ目

□ 平野川の使い場

樟本神社(北木の本)
の次に訪れたのは
平野川の使い場

場所ははっきり分からなくてすみません
きっと川沿いです

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案内板にはこう書かれてありました

平野川沿いの村で
物資の揚げ降ろしをした場所で
かつては各村ごとにあったが姿を消し
近年では 北木の本の使い場が当時の名残をとどめており
今回の改修工事で整備された

昔は川を使っていたことが分かりますね

次は柏原船

□ 樟本神社(北木の本)

南太子堂公園
の次に訪れたのは
八尾市北木の本5-73
にあります
樟本神社(北木の本)

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鳥居を通り

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あっ その前に名前を確認

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さらに 鳥居のようなもの

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社殿

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案内板にはこう書かれてありました

当神社は延喜7年(907年)の
延喜式神名帳に
樟本神社3座の1つとして
記載されている式内社である

大和時代 用明天皇の御代
この付近一帯は物部氏の住地であった

物部守屋の本拠地である
稲城の守護神として崇められていた布都大神
布都大明神として奉祀されたものと伝えられている

紀・記・古伝によると
悪疫邪霊を祓い病気平癒 又 鍬 靫を司る農神
武の神として広く村民の崇敬を受け
現在に至っている

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境内に物部守屋の首を洗ったと伝わる
直径約3mの池がある

守屋池 も確か首を洗ったところだったはず
いくつも洗ったのかなぁ

次は平野川の使い場

□ 南太子堂公園

弓代塚碑
の次に訪れたのは
八尾市南太子堂3丁目
にあります
南太子堂公園

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こんな感じの公園です
ただ 香りのする公園とあったのです・・・
それが気になって 気になって

ツアー途中に写真を撮影!

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たぶん この草花たちだろう ということで落ち着きました

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虫や鳥たちが寄ってくるのかなぁ

次は 樟本神社(北木の本)

□ 弓代塚碑

鏑矢塚
の次に訪れたのは
八尾市南太子堂3-1-70
八尾市立龍華中学校
南側にあります
弓代塚

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この 生い茂る草を越えていくと

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奥に隠れるように 立っています
弓代塚

資料にはこう書かれてありました

高さ 50cm 周り4m四方の塚状の盛り土の上に
迹見赤檮発箭地 とあります

迹見赤檮が物部守屋を鏑矢をもって
射た時に用いた弓を 記念として埋めた所と伝える

次は南太子堂公園

□ 鏑矢塚

物部守屋墓
の次に訪れたのは
八尾市南太子堂3-1
あたりにあります
鏑矢塚

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案内板にはこう書かれてありました

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用明2年(587年)に厩戸皇子(聖徳太子)
をはじめとする皇子達と蘇我馬子らは
渋河の地で物部守屋の軍勢と戦います

稲城を築き 榎木の上から弓を放つ守屋に
苦戦した皇子らは3度退却しますが
四天王を祈願すると 迹見赤檮の放った矢が守屋を討ち
皇子と馬子らは勝利したと 「日本書紀」に記されています

大聖勝軍寺の周辺にはそうした史跡が残されており
鏑矢塚は 迹見赤檮が守屋を射た矢を埋めたと
「大聖勝軍寺略縁起」(1455年)は伝えています

鏑矢とは 先端が植物の
「かぶら」のような形をしている矢のことです
「日本書記」 にはみられませんが
太子信仰や八尾の歴史を考えるうえで重要です

次は弓代塚碑

□ 物部守屋墓

守屋池
の次に訪れたのは
八尾市東太子2-9ぐらい
にあります
物部守屋墓

大聖勝軍寺 から
国道25号線を100m程
東に行ったあたりかな

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拡大するとこんな感じ

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資料にはこう書かれてありました

物部守屋大連を葬った所で
河内艦名所記や河内名所図会には
小さな塚状の丘に上に一本松のある姿が描かれている

明治の初め 堺県知事 小河 一敏が
改めて立派な墓碑を建て
表に 「物部守屋大連墓」と刻し
周囲に玉垣をつくり 左側に石燈籠一基を献じ
正面に石鳥居を設けた

次は鏑矢塚

□ 守屋池

太子植髪像と四天王像
に引き続き
八尾市太子堂3-3-16
にあります
大聖勝軍寺

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次は 守屋池

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資料にはこう書かれてありました

勝軍寺の門前にある小さな池

聖徳太子が迹見赤檮の鏑矢をもって
物部守屋を射させたところ
その矢が守屋の胸にあたり
秦川勝がその首をとって
ここの池で洗って
大使の見参に入れたという

次は物部守屋墓

□ 太子植髪像と四天王像

菩提樹
に引き続き
八尾市太子堂3-3-16
にあります
大聖勝軍寺

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次は 太子植髪像と四天王像

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案内板にはこう書かれてありました

1400余年の昔 仏教伝来を巡り
排仏派の反乱軍は仏教軍に猛攻を加え
太子軍は3度大敗する

時に御歳16歳の太子は
部下4将軍に四天王の像を刻ましめ
誓願をたて 排仏軍を平定する

「いまもし我をして敵に勝たしめば
かならずまさに護世四天王の
おんために 寺塔を建つべし」

(日本書紀)

乱後難波の高台に日本仏教最始の四天王寺を建立し
仏教公伝の礎となった当地 渋川に勝軍寺を創建

御自身16歳の植髪の太子像と四天王像を安置されたと伝う

次は守屋池

□ 菩提樹

絵燈籠
に引き続き
八尾市太子堂3-3-16
にあります
大聖勝軍寺

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次は 菩提樹

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この石碑を見つけるまで
特に気にならなかったのですが
名前を見ただけで この存在感!

次は太子植髪像と四天王像

8月11日に投稿したなう



ただいま帰宅 すべての返信は明日します すみません 今はすぐ寝たい気分 おやすみなさい
8/11 0:26

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