□ 浄土宗 善龍寺
パン工房 麦の花
の次に訪れたのは
大阪市天王寺区下寺町2-1-1
にあります
善龍寺
入口から見た中の様子
緑が綺麗だ
前に 海中出現地蔵尊 と書かれた石柱
後ろにも石柱があった
近くに 口縄坂の案内板がありました
「くちなわ」 とは 「朽ち縄=古くなった縄」 で 蛇の古称である
すなわち 「口縄坂 」 とは 「蛇坂」 の意味であり
当 善龍寺は 「蛇坂」 の縁起の 「善い龍の寺」 として知られている
坂名の由来については昔から諸説あるが 坂下から眺めると長く緩やかに蛇行し
石段が蛇腹のように見える事から 「蛇の坂」 と命名されたと考えるのが自然であろう
古来 この口縄坂の界隈は 楠など老木が生い茂る緑豊かな処であり
江戸時代には 枝垂れ桜 (糸桜) の名所として賑わい
その見事なさまは 次の二首からも窺い知ることができる
口 とぢて 蛇坂を下りけり
芭蕉
蛙ほどの 歌さへとんと詠めぬなり
蛇坂の花にのまれて
魚丸
昭和9年まで坂の右の丘に名門 夕陽丘高等女学校があった
「夫婦善哉」 で有名な作家 織田作之助はその女学生と淡い恋情を抱きながら
青春の光と影を宿してこよなく愛するこの坂道を 幾度となく登り降りした
彼の小説 「木の都」 には その模様が 古き良き大阪へのノスタルジーとともに語られており
また焦悴した当時の彼の心情が寒い冬空の口縄坂の風景と二重映しの形で描かれている
好天の休日ともなれば 日曜画家やカメラマン諸氏で賑わい
映画やテレビドラマのロケ地としても 今や欠かせない場所となっている
この口縄坂は 天王寺七坂 のうちで最も 古き佳き 「浪華の面影」 を今
も色濃く書き留めている坂のひとつである
次は 大阪府立夕陽丘高等女学校跡碑 へ
の次に訪れたのは
大阪市天王寺区下寺町2-1-1
にあります
善龍寺
入口から見た中の様子
緑が綺麗だ
前に 海中出現地蔵尊 と書かれた石柱
後ろにも石柱があった
近くに 口縄坂の案内板がありました
「くちなわ」 とは 「朽ち縄=古くなった縄」 で 蛇の古称である
すなわち 「口縄坂 」 とは 「蛇坂」 の意味であり
当 善龍寺は 「蛇坂」 の縁起の 「善い龍の寺」 として知られている
坂名の由来については昔から諸説あるが 坂下から眺めると長く緩やかに蛇行し
石段が蛇腹のように見える事から 「蛇の坂」 と命名されたと考えるのが自然であろう
古来 この口縄坂の界隈は 楠など老木が生い茂る緑豊かな処であり
江戸時代には 枝垂れ桜 (糸桜) の名所として賑わい
その見事なさまは 次の二首からも窺い知ることができる
口 とぢて 蛇坂を下りけり
芭蕉
蛙ほどの 歌さへとんと詠めぬなり
蛇坂の花にのまれて
魚丸
昭和9年まで坂の右の丘に名門 夕陽丘高等女学校があった
「夫婦善哉」 で有名な作家 織田作之助はその女学生と淡い恋情を抱きながら
青春の光と影を宿してこよなく愛するこの坂道を 幾度となく登り降りした
彼の小説 「木の都」 には その模様が 古き良き大阪へのノスタルジーとともに語られており
また焦悴した当時の彼の心情が寒い冬空の口縄坂の風景と二重映しの形で描かれている
好天の休日ともなれば 日曜画家やカメラマン諸氏で賑わい
映画やテレビドラマのロケ地としても 今や欠かせない場所となっている
この口縄坂は 天王寺七坂 のうちで最も 古き佳き 「浪華の面影」 を今
も色濃く書き留めている坂のひとつである
次は 大阪府立夕陽丘高等女学校跡碑 へ