□ 若宮八幡宮社
安井金刀比羅宮 安井の藤
の次に訪れたのは
京都市東山区五条橋東5-480
にあります
若宮八幡宮社
清水焼発祥之地
五條坂
とあります
案内板にはこう書かれてありました
応神天皇 (八幡神の主神) とその父母 仲哀天皇 及び 神功皇后を主祭神とし
左の相殿に仲恭天皇を祀っている
また 昭和24年 (1949年) に右の相殿に
陶祖神の椎根津彦命が合祀されたことから 「陶器神社」 としても知られている
平安時代の天喜元年 (1053年) に後冷泉天皇の勅願により
源 頼義が六条醒ヶ井 (現在の西本願寺 の北東あたり)
に創建したのが当社の始まりと伝えられ 当初は 六條八幡 左女牛八幡 とも呼ばれた
源氏一族や武士からの信仰が厚く 室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め 隆盛を極めた
その後 応仁の乱により 荒廃し 社地を転々として
慶長10年 (1605年) に五条坂のほぼ中央に当たる当地に移された
現在の社殿は 承応3年 (1654年) に再建されたものである
毎年8月7日から10日までの4日間 若宮祭とともに陶器祭が行われ
五条坂一帯で盛大に開催される陶器市は多くの人でにぎわう
また 昭和60年 (1985年) には若宮八幡宮前に 五条坂の先人及び 陶器祭運営功労者への感謝の意を込めて 「清水焼発祥之地 五條坂」 の記念碑が建立された
どどんと入ってみる
赤鳥居をくぐりぬけ
階段のぼって
本殿
こちらにも案内板がありました
現在の本殿は承応3年 (1654年) の造営と伝える
三間社流造の庇を取り込んで前室とし
更に その前に向拝一間を付けた前室付きの流造である
屋根は現在 銅板葺になっているが 当初は檜皮葺であった
前室付き流造の本殿は 滋賀県下に多く見られるが
京都では目地らしい形式のもので この本殿の価値は高い
次は若宮八幡宮社 蓬莱石 へ
の次に訪れたのは
京都市東山区五条橋東5-480
にあります
若宮八幡宮社
清水焼発祥之地
五條坂
とあります
案内板にはこう書かれてありました
応神天皇 (八幡神の主神) とその父母 仲哀天皇 及び 神功皇后を主祭神とし
左の相殿に仲恭天皇を祀っている
また 昭和24年 (1949年) に右の相殿に
陶祖神の椎根津彦命が合祀されたことから 「陶器神社」 としても知られている
平安時代の天喜元年 (1053年) に後冷泉天皇の勅願により
源 頼義が六条醒ヶ井 (現在の西本願寺 の北東あたり)
に創建したのが当社の始まりと伝えられ 当初は 六條八幡 左女牛八幡 とも呼ばれた
源氏一族や武士からの信仰が厚く 室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め 隆盛を極めた
その後 応仁の乱により 荒廃し 社地を転々として
慶長10年 (1605年) に五条坂のほぼ中央に当たる当地に移された
現在の社殿は 承応3年 (1654年) に再建されたものである
毎年8月7日から10日までの4日間 若宮祭とともに陶器祭が行われ
五条坂一帯で盛大に開催される陶器市は多くの人でにぎわう
また 昭和60年 (1985年) には若宮八幡宮前に 五条坂の先人及び 陶器祭運営功労者への感謝の意を込めて 「清水焼発祥之地 五條坂」 の記念碑が建立された
どどんと入ってみる
赤鳥居をくぐりぬけ
階段のぼって
本殿
こちらにも案内板がありました
現在の本殿は承応3年 (1654年) の造営と伝える
三間社流造の庇を取り込んで前室とし
更に その前に向拝一間を付けた前室付きの流造である
屋根は現在 銅板葺になっているが 当初は檜皮葺であった
前室付き流造の本殿は 滋賀県下に多く見られるが
京都では目地らしい形式のもので この本殿の価値は高い
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