□ 新玉津嶋神社
オーガニックと天然酵母パンの店 Alpenrose ヨドバシ京都店
の次に訪れたのは
京都市下京区玉津島町309
にあります
新玉津嶋神社
新玉津島神社 とあります
鳥居の上は反射して見れず
境内
拝殿
時間がなく本殿はまた今度来ます
ちなみに鳥居前の案内板にはこう書かれてありました
この神社は 文治2年 (1186年) 後鳥羽天皇の勅命により
藤原 定家 の父で平安末期から鎌倉初期の歌人として名高い藤原 俊成が
五篠大路 (現在の松原通) 烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に
和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神 「衣通郎姫」
を勧請したことに由来する
それに先立つ 寿永2年 (1183年) 後白河法皇の院宣により
藤原俊成はこの邸宅を和歌所として 「千載和歌集」を編纂し始めた
ちょうど その年 木曽 義仲 が京に攻め入り 平家一門は都落ちするが
門下の1人である 平 忠度は 危険を顧みずこの屋敷に引き返し
「一首なりとも選んでほしい」 と自分の秀歌の巻物を献じた逸話は有名で
俊成は その中から次の一首を選び 千載和歌集に載せたという
さざなみや 志賀の都は あれにしを
むかしながらの 山ざくらかな
江戸時代には 「源氏物語湖月抄」などの古典注釈の第一人者で
松尾芭蕉の師である 北村 季吟が 約7年間 この神社の宮司としてすみ
万葉集の注釈書 「万葉拾穂抄」の編纂に励んだ
これらの由縁から 今も多くの人が 短歌 俳句 文章の上達祈願に訪れている
次は新玉津神社 天満宮 秋葉神社 へ
の次に訪れたのは
京都市下京区玉津島町309
にあります
新玉津嶋神社
新玉津島神社 とあります
鳥居の上は反射して見れず
境内
拝殿
時間がなく本殿はまた今度来ます
ちなみに鳥居前の案内板にはこう書かれてありました
この神社は 文治2年 (1186年) 後鳥羽天皇の勅命により
藤原 定家 の父で平安末期から鎌倉初期の歌人として名高い藤原 俊成が
五篠大路 (現在の松原通) 烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に
和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神 「衣通郎姫」
を勧請したことに由来する
それに先立つ 寿永2年 (1183年) 後白河法皇の院宣により
藤原俊成はこの邸宅を和歌所として 「千載和歌集」を編纂し始めた
ちょうど その年 木曽 義仲 が京に攻め入り 平家一門は都落ちするが
門下の1人である 平 忠度は 危険を顧みずこの屋敷に引き返し
「一首なりとも選んでほしい」 と自分の秀歌の巻物を献じた逸話は有名で
俊成は その中から次の一首を選び 千載和歌集に載せたという
さざなみや 志賀の都は あれにしを
むかしながらの 山ざくらかな
江戸時代には 「源氏物語湖月抄」などの古典注釈の第一人者で
松尾芭蕉の師である 北村 季吟が 約7年間 この神社の宮司としてすみ
万葉集の注釈書 「万葉拾穂抄」の編纂に励んだ
これらの由縁から 今も多くの人が 短歌 俳句 文章の上達祈願に訪れている
次は新玉津神社 天満宮 秋葉神社 へ
