□ 多賀大社 大鳥居
福々タヌキ
の次に訪れたのは
多賀大社 一の鳥居
多賀大社と書かれてあります
案内板は2つありました
まずひとつめ
高宮の大鳥居
中山道と多賀みちの分岐点に立つ この鳥居は
多賀大社 一の鳥居で 寛永12年 (1635年) に建立されたもの
柱間は約8メートル 高さは約11メートルあり
県の文化財に指定されている
鳥居建立工事は 多賀町4手の山中から花崗岩を切り出し
足場は妙蓮寺の裏あたりから階段式に高く
土嚢を築いたと言われている
2つめ
多賀大社から西方約4キロメートルの表参道に面して位置する
石造明神鳥居は同社の旧境界域を示している
多賀大社の創立は 奈良時代に完成した 「古事記」 や
平安時代に編纂された「延喜式」 にも見られる
「一の鳥居」 は社蔵文書に 「寛永12年3月鳥居着工」 の記述があり
社殿が 元和元年 (1615年) の火災の後
寛永年間に造営されているのでこの時に建立されたものと考えられる
この鳥居は円柱を内転びに建て
頂上に反り付きの島木とその上に笠木をのせ
やや下がったところに貫を通して 中央に額束を据える 明神鳥居形式で
現存する鳥居の中で最も多い形式の1つである
県下の石造鳥居としては 構成する部材は太く
均整がとれて古式を示し また 最大のものであって
建立年次が明らかな点で貴重な遺構である
これ読めない
中山道 高山宿とあります
こちらが解説の地図
中山道 高宮宿
高宮宿は 中山道69次のうち 江戸から64番目
天保14年の記録によれば
町の南北の長さ7町16間 (約800メートル)
の町並に 総戸数835 人口 3560 で
本庄宿に次ぐ 中山道第2の大きさ
本陣1 脇本陣2 旅籠総数23等
の宿場施設を持つ 大宿であった
また 多賀神社への門前町としてにぎわい
多賀神社第1の大鳥居がここに建っている
特産物として室町時代から全国的に有名になっていた
高宮上市の集散地として 豊かな経済力を持っていた
最後に常夜灯を見てこちらを後にしました
次は多賀サービスエリア へ
の次に訪れたのは
多賀大社 一の鳥居
多賀大社と書かれてあります
案内板は2つありました
まずひとつめ
高宮の大鳥居
中山道と多賀みちの分岐点に立つ この鳥居は
多賀大社 一の鳥居で 寛永12年 (1635年) に建立されたもの
柱間は約8メートル 高さは約11メートルあり
県の文化財に指定されている
鳥居建立工事は 多賀町4手の山中から花崗岩を切り出し
足場は妙蓮寺の裏あたりから階段式に高く
土嚢を築いたと言われている
2つめ
多賀大社から西方約4キロメートルの表参道に面して位置する
石造明神鳥居は同社の旧境界域を示している
多賀大社の創立は 奈良時代に完成した 「古事記」 や
平安時代に編纂された「延喜式」 にも見られる
「一の鳥居」 は社蔵文書に 「寛永12年3月鳥居着工」 の記述があり
社殿が 元和元年 (1615年) の火災の後
寛永年間に造営されているのでこの時に建立されたものと考えられる
この鳥居は円柱を内転びに建て
頂上に反り付きの島木とその上に笠木をのせ
やや下がったところに貫を通して 中央に額束を据える 明神鳥居形式で
現存する鳥居の中で最も多い形式の1つである
県下の石造鳥居としては 構成する部材は太く
均整がとれて古式を示し また 最大のものであって
建立年次が明らかな点で貴重な遺構である
これ読めない
中山道 高山宿とあります
こちらが解説の地図
中山道 高宮宿
高宮宿は 中山道69次のうち 江戸から64番目
天保14年の記録によれば
町の南北の長さ7町16間 (約800メートル)
の町並に 総戸数835 人口 3560 で
本庄宿に次ぐ 中山道第2の大きさ
本陣1 脇本陣2 旅籠総数23等
の宿場施設を持つ 大宿であった
また 多賀神社への門前町としてにぎわい
多賀神社第1の大鳥居がここに建っている
特産物として室町時代から全国的に有名になっていた
高宮上市の集散地として 豊かな経済力を持っていた
最後に常夜灯を見てこちらを後にしました
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