十二軒町 町名の由来
大阪市中央区十二軒町5-12にあります
(株)マンダム 中央研究所を通りかかりました
その前に 「十二軒町」 町名の由来 と書かれたものがありました
ココにはこう書かれていありました
豊臣秀吉が天下を統一した時代
天正11年(1583年)に秀吉自らの居城として修築した頃は
この地は旧大坂城三の丸の内であったと伝わっています
その後徳川家康が代わって天下を平定
江戸に幕府を開いて慶長8年~慶応3年(1603~1867年)
その間この地は江戸幕府の直轄による「貫属地」とされていたところでした
江戸時代前期の寛文期(1661~1673年)の貼札をもつ
「大坂町中並村々絵図」によれば
金奉行手代八人および蔵奉行十二人の屋敷
又 文久3年(1863年)の改正増補国宝大阪全図には
「御金同心」・「ヲクラ手代」と記され この地はほぼ一貫して
大坂城代勤番の役人の屋敷地であったところと記されています
明治6年(1873年) 11月17日 政府の地租改正条例によって
この十二軒町屋敷とその地続き及び谷町5丁目地尻の一部の
(堀村)吉右衛門肝煎地(支配地)をもって「十二軒町」が編成されました
ちなみに町名は前期により由来して 当初は東大組 明治12年の区政実施により東区
そして明治22年4月1日市制施行により大阪市東区に編入され
平成元年(1989年)2月13日に伴って中央区の現在に至っています
碑として残ってくれればよかったなぁ
次は緑の天使たち へ
(株)マンダム 中央研究所を通りかかりました
その前に 「十二軒町」 町名の由来 と書かれたものがありました
ココにはこう書かれていありました
豊臣秀吉が天下を統一した時代
天正11年(1583年)に秀吉自らの居城として修築した頃は
この地は旧大坂城三の丸の内であったと伝わっています
その後徳川家康が代わって天下を平定
江戸に幕府を開いて慶長8年~慶応3年(1603~1867年)
その間この地は江戸幕府の直轄による「貫属地」とされていたところでした
江戸時代前期の寛文期(1661~1673年)の貼札をもつ
「大坂町中並村々絵図」によれば
金奉行手代八人および蔵奉行十二人の屋敷
又 文久3年(1863年)の改正増補国宝大阪全図には
「御金同心」・「ヲクラ手代」と記され この地はほぼ一貫して
大坂城代勤番の役人の屋敷地であったところと記されています
明治6年(1873年) 11月17日 政府の地租改正条例によって
この十二軒町屋敷とその地続き及び谷町5丁目地尻の一部の
(堀村)吉右衛門肝煎地(支配地)をもって「十二軒町」が編成されました
ちなみに町名は前期により由来して 当初は東大組 明治12年の区政実施により東区
そして明治22年4月1日市制施行により大阪市東区に編入され
平成元年(1989年)2月13日に伴って中央区の現在に至っています
碑として残ってくれればよかったなぁ
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