川崎東照宮跡碑
榎木大明神
の後に訪れたのは
大阪市北区天満1-24-15にあります
大阪市立滝川小学校
ぼーっと通っていたのですが
その前に見つけました 川崎東照宮跡碑
案内板にはこう書かれてありました
元和2年 (1616年) に徳川家康が没すると
その子で 江戸幕府の2代将軍である 秀忠は
家康を東照大権現という神様としてまつり
各地に東照宮という神社を建てることを命じた
大阪には 翌年 この滝川小学校の地に
当時の大阪城代である 松平 忠明 たちによって東照宮が建てられた
一説には豊臣氏をうやまう
大阪の人々の思いを薄れさせるために
建てられたともいわれている
一般の町人は 日ごろは東照宮の境内に入ることが許されなかったが
毎年家康の命日である 4月17日 を中心に5日の間にわたって行われた
権現まつりのときは特別におまいりすることができた
明治6年 (1873年) になって川崎東照宮は廃された
天地人をやっているので
家康ってちょっと身近に感じます
次は OAPタワー へ
大阪市北区天満1-24-15にあります
大阪市立滝川小学校
ぼーっと通っていたのですが
その前に見つけました 川崎東照宮跡碑
案内板にはこう書かれてありました
元和2年 (1616年) に徳川家康が没すると
その子で 江戸幕府の2代将軍である 秀忠は
家康を東照大権現という神様としてまつり
各地に東照宮という神社を建てることを命じた
大阪には 翌年 この滝川小学校の地に
当時の大阪城代である 松平 忠明 たちによって東照宮が建てられた
一説には豊臣氏をうやまう
大阪の人々の思いを薄れさせるために
建てられたともいわれている
一般の町人は 日ごろは東照宮の境内に入ることが許されなかったが
毎年家康の命日である 4月17日 を中心に5日の間にわたって行われた
権現まつりのときは特別におまいりすることができた
明治6年 (1873年) になって川崎東照宮は廃された
天地人をやっているので
家康ってちょっと身近に感じます
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