松尾芭蕉の句碑
大阪市福島区大開2-1-5にあります
クジャク堂薬局の隣に
松尾芭蕉の句碑があります
なんだろうなぁ~といつも前を通っていたのですが
この前やっと松尾芭蕉の碑であることに気づきました
ココには こう書かれています
芋洗う女 西行ならば歌よまむ
芭蕉は西行谷のほとりで「芋洗う女」たちを眺め
「西行ならば、きっと芋洗う女たちに歌を詠みかけるだろう」と一句捻った
この句は伊勢参宮の折のものだそうです
松尾 芭蕉は寛永21年(1644年) に現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師である
幼名は金作
通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎
名は宗房
俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉と改めた
蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖と呼ばれる
江戸を出て独自の俳諧を開き
全国行脚を重ね
東北を旅したときの奥の細道 は特に有名ですね
元禄7年(1694年)
西国への旅の途中
大阪で病に倒れ今の御堂筋の中ほどにあった
旅宿 花屋で亡くなったそうです
大開辺りまで来て欲しかったなぁ
クジャク堂薬局の隣に
松尾芭蕉の句碑があります
なんだろうなぁ~といつも前を通っていたのですが
この前やっと松尾芭蕉の碑であることに気づきました
ココには こう書かれています
芋洗う女 西行ならば歌よまむ
芭蕉は西行谷のほとりで「芋洗う女」たちを眺め
「西行ならば、きっと芋洗う女たちに歌を詠みかけるだろう」と一句捻った
この句は伊勢参宮の折のものだそうです
松尾 芭蕉は寛永21年(1644年) に現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師である
幼名は金作
通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎
名は宗房
俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉と改めた
蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖と呼ばれる
江戸を出て独自の俳諧を開き
全国行脚を重ね
東北を旅したときの奥の細道 は特に有名ですね
元禄7年(1694年)
西国への旅の途中
大阪で病に倒れ今の御堂筋の中ほどにあった
旅宿 花屋で亡くなったそうです
大開辺りまで来て欲しかったなぁ