松瀬青々旧跡
羽間文庫
の後に訪れたのは
大阪市福島区海老江4-10-17にある
松瀬青々旧跡
海老江八坂神社の松瀬青々句碑
に近い場所にこの碑はあります
ココに書かれていたことは
松瀬青々は明治2年4月
船場の薪炭商の長男として生まれた
本名は弥三郎
北浜小学校卒業後 丁稚奉公や呉服行商をしたが
そののち 第一銀行大阪支店に入社した
28歳の頃から俳句を学び ホトトギス に投句したのがきっかけで
正岡子規と出会い 勤めていた第一銀行を辞めて上京し
ホトトギスの編集に当たった
明治33年 大阪へ戻り 大阪朝日新聞社に入り
朝日俳壇を担当していた
翌年 宝船を創刊
大正10年 惓鳥に改題し没年までこれを主宰した
また 句集 松苗 妻木 などを発刊した
松瀬青々の俳句は清澄な主情的自然詠・人事句にすぐれ
客観写生の高浜虚子と並び称えられた
この近くの八坂神社境内に松瀬青々が詠んだ句碑が建っている
菜の花のはじめや北に雪の山
明治39年の年の瀬
生地の大川町から海老江に移り
大正10年までここに住んでいたことから
碑が建てられたものである
の後に訪れたのは
大阪市福島区海老江4-10-17にある
松瀬青々旧跡
海老江八坂神社の松瀬青々句碑
に近い場所にこの碑はあります
ココに書かれていたことは
松瀬青々は明治2年4月
船場の薪炭商の長男として生まれた
本名は弥三郎
北浜小学校卒業後 丁稚奉公や呉服行商をしたが
そののち 第一銀行大阪支店に入社した
28歳の頃から俳句を学び ホトトギス に投句したのがきっかけで
正岡子規と出会い 勤めていた第一銀行を辞めて上京し
ホトトギスの編集に当たった
明治33年 大阪へ戻り 大阪朝日新聞社に入り
朝日俳壇を担当していた
翌年 宝船を創刊
大正10年 惓鳥に改題し没年までこれを主宰した
また 句集 松苗 妻木 などを発刊した
松瀬青々の俳句は清澄な主情的自然詠・人事句にすぐれ
客観写生の高浜虚子と並び称えられた
この近くの八坂神社境内に松瀬青々が詠んだ句碑が建っている
菜の花のはじめや北に雪の山
明治39年の年の瀬
生地の大川町から海老江に移り
大正10年までここに住んでいたことから
碑が建てられたものである