浄土真宗 本願寺派 円満寺と證如上人御旧跡 | E-smile まっつんの日常

浄土真宗 本願寺派 円満寺と證如上人御旧跡

大阪市福島区玉川4-4-25にあります
浄土真宗 本願寺派 円満寺

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その前にあります
證如上人御旧跡

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野田御堂極楽寺にも
證如上人御旧跡 がありますね
同じものかなぁ~

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隣に案内板があったので書きたいと思います

野田村21人討死御由緒
本願寺第10世 證如上人御旧跡
居原山・円満寺について

円満寺は 天文3年(1534年) 12月に 野田村惣道場として創建されている
この時代は 戦国時代の真っ只中であり 第8世蓮如上人によって
一挙に教線を拡大した本願寺も各地の守護大名らと
勢力拡大を目指して戦っていた

天文2年(1533年)8月9日
京都山科の本願寺を敵勢に焼き討ちされた證如上人は
石山本願寺(現在の大阪城の地)に移られ 野田村におみえになった
この時 細川 晴元の伏兵が待ち伏せして不意を襲いかかり戦闘となった
一向宗(浄土真宗)に帰依していた野田村の門徒らは
庄屋の藤氏を中心として戦い21人が生涯橋(現在の下福島中学校裏付近)
で討死した
證如上人は小舟で泉州へと落ち延びられ
この悲報に接し 野田村の門徒らへ 1通の感状をしたためられた
これが有名な 野田御書である
なお この合戦で野田村のほとんどの家屋敷は焼失し
往古以来著名な野田藤も焼失したといわれている

翌 天文3年(1534年) 12月 合戦に参加した久左衛門と申す者が
證如上人より教圓という名を授けられ
證如上人の懇請により21人の菩堤を弔うために
1宇の坊舎を建立した

これが 居原山 円満寺のはじまりであり
当時は 摂津国下仲嶋野田村惣道場と称していた
この時 證如上人より 阿弥陀仏画像を拝受し
御本尊として安置し 現在まで 野田御書とともに
寺宝として大切に保存している

その後 江戸時代中期の宝暦4年(1754年)に
圓満寺という寺号を拝受し
阿弥陀仏木像(現在の御本尊)も拝受している

なお 山門は寛政7年(1795年)に上棟され
当時の建造物では最古のものである
本堂は万延元年(1860年)に再建されて現在に至っている
欄間の微細な彫刻や欅材は檜材をふんだんに使用した
江戸時代後期の建築様式を今に伝える希少な建造物である

梵鐘には当時創建の由縁となった
野田御書の御文をそのままに彫り込んでいる
また 当寺に現存する5000点余の古文書は
江戸時代の地域史や寺院史を研究する上で
貴重な史料として注目されている
平成15年に 野田御書 や阿弥陀仏画像をはじめ
計4点が大阪市有形指定文化財に認定された
野田御書 は日本全国に11通の写本が存在するほど
著名なものであり 大阪市史にも掲載されている

毎年5月8日には 野田御書(野田村21人討死御消息)披露法要
を開催し往時を偲び討死した21人門徒の功績を顕彰している

本願寺派の寺院や浄土真宗が
この地域に多い理由が少し分かったような気がします

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