大阪俵物会所跡
大阪証券取引所
の後に訪れたのは
ちょうど信号を挟んで対面
中央区北浜2-2-15にあります
大阪俵物会所跡
江戸時代には 金・銀・銅などの重要な生産物については
幕府の厳しい統制下におかれ
会所という売買センターで特定の商人しか扱うことが出来なかった
俵物とよばれるふかのひれや干なまこ・干あわびなどは
当時の日本の重要な特産品で
長崎から中国などに向けて輸出されていた
海外貿易の決済で金銀銅の流出の激しいことから
この俵物は輸出入の代価に用いられることもあったので
延享4年(1744年)に集荷の便のため大阪に会所が設けられ
ここで売買が行なわれた
会所ははじめ備後町にあったが
安永6年(1777年)にこの地に移り
幕府が独占集荷体制をとったものの
あまり機能しなかったが明治まで続いた
次は CAFFE VELOCE 淀屋橋店 へ
ちょうど信号を挟んで対面
中央区北浜2-2-15にあります
大阪俵物会所跡
江戸時代には 金・銀・銅などの重要な生産物については
幕府の厳しい統制下におかれ
会所という売買センターで特定の商人しか扱うことが出来なかった
俵物とよばれるふかのひれや干なまこ・干あわびなどは
当時の日本の重要な特産品で
長崎から中国などに向けて輸出されていた
海外貿易の決済で金銀銅の流出の激しいことから
この俵物は輸出入の代価に用いられることもあったので
延享4年(1744年)に集荷の便のため大阪に会所が設けられ
ここで売買が行なわれた
会所ははじめ備後町にあったが
安永6年(1777年)にこの地に移り
幕府が独占集荷体制をとったものの
あまり機能しなかったが明治まで続いた
次は CAFFE VELOCE 淀屋橋店 へ