野田城跡 旧名城の内
地元に福島区 JR大阪環状線 野田駅から一番近い 史跡・旧跡ではないでしょうか
旧 協和銀行前
今はキングマンションの前だったかなぁ~
協和銀行と言えば 埼玉銀行と合併し協和埼玉銀行となり
協和埼玉銀行は翌年に称号があさひ銀行となり
あさひ銀行は 大和銀行と合併し りそな銀行になったんですよね
すごく懐かしい銀行の合併劇でした
それはさておき 時は織田信長の時代
天満ノ森で陣を張った三好三人衆は野田城を補修して阿波から物資補給の橋頭堡にした。
野田城は当時の大和川が作った州の端にあり、三方を川で囲まれているので攻めにくく、
城からは川を利用して自由に移動できた。
三好三人衆はこの年の春から摂津再上陸を計画していた。
それは信長が金ケ崎から逃げ帰った頃である。信長が岐阜へ戻っている間に三人衆が上陸したのは、
信長が姉川で浅井・朝倉軍を追撃しなかったのを織田・徳川軍が負けたからだと勘違いして
信長に再度軍を動かす余力がないと判断したからだとの説もある。
野田城はこの頃より40年ぐらい前、播磨・備前・美作を領する浦上掃部助村宗によって築かれた。
そのときは砦ぐらいだったのを今回の戦いにおいて
三人衆は壁や櫓、逆茂木、堀を設けて城砦化し1万人近い兵を収容できる規模にまで拡張された。
この城に立て籠もったのは信長によって追放された者―
例えば斎藤竜興・長井隼人・篠原長房などや浪人が集まった。
との事です。
生まれ育った地元に城があれば誇らしいですよね~
ココに書かれていたことは
戦国時代 近畿一円に勢威をふるった三好一党がこの地に砦を築いたが
後に改築され 石山本願寺 ついで織田信長方の重要拠点となった
字 城之内 と呼ばれたこの辺りがその中心地である