イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

1967年8月、ヨーロッパから帰国した内田裕也が新バンド結成に着手し、以前から知り合いの麻生京子(麻生レミに改名)と千葉ひろし(元ザ・タイガースのバンドボーイ)がまず加入、そして大阪のバンド「キャシー五月とザ・レインジャーズ」にいた4人が参加、
小林勝彦(スチール・ギター)
奥ススム(リード・ギター)
橋本健(ベース・ギター)
和田ジョージ(ドラム)
千葉ひろし(ボーカル)
麻生レミ(ボーカル、サイド・ギター)、
内田裕也(”リード・タンバリン”)
という顔ぶれが揃い「内田裕也とザ・フラワーズ」は1967年11月「銀座ACB」でステージデビューした。

1968年7月に千葉ひろしが病気のために脱退、代わりにザ・スパイダースのバンドボーイだった中村ケントが加入し1969年1月に「ラスト・チャンス」で遅いhttp://youtu.be/Lmw4r82jnh8レコードデビューを飾った。(元々彼らのデビュー曲としては「愛するアニタ」をレコーディングしていたが、未発表に終わっていた)

その三ヵ月後の1969年4月20日「4th AGS FESTIVAL」(京都府立勤労会館大ホール)が京都初公演となった。

1969年6月、中村ケントが新バンド「ザ・ファニーズ」結成のため脱退。
その後小林勝彦と麻生レミがアメリカでの活動を希望し脱退。

1970年バンドの再編を図り、
石間秀樹(元ザ・ビーバーズ、ギター)
城アキラ(元フォー・ナイン・エース、ヴォーカル)
上月ジュン(元ザ・タックスマン、ベース)
和田ジョージ(ドラムス)
内田裕也(MC、タンバリン、その後プロデューサーに徹した)
の5人で「フラワー・トラベリン・バンド」と改名、ニューロックに参入した。
http://www.youtube.com/watch?v=Z5SG8LlIqoY


プログラムはオリジナルサイズでご覧ください。