あっという間のこの一年。

胸が苦しくなったり、大泣きしたり、父さえいてくればこんなことにはならなかった・・・

というようなことがいろんな局面で感じれられた日々でした。


父の在りし日のゆかりの方々約50名の方々にお越しいただきました。


まずは自宅にてお坊さんに来ていただいてお念仏。

その後お寺に行き焼香。

そしてお料理やさんにて会食。


私は畳に座れないので、キッチンの方でお茶の用意などをして待機。

お寺にも甥っ子のことを見ている人がいないので、私が見ていることになり行きませんでした。


お食事は今回は私がどうしても椅子席にして欲しいと強く希望したので、和食ではなくフランス料理のお店

となりました。

田舎では法事で畳ではなくこういったお店を利用するのは珍しいことです。

この日の椅子席は貸切でした。

なぜ私が椅子席にこだわったかというと、今まで四十九日の法事でも畳だったので、私は挨拶周りが全く

できず、帰りに皆さんに「有難うございました。」とお礼を言うだけしか、ほとんど交流ができなかったのです。

でも私は父の友人の方々ともっと父のことで話がしたかったのです。


ど田舎の議員4期めの任期中に亡くなった父。

後援会の方々を始め多くの方に支えられていました。

父は本当に誰に対しても分け隔てなくお付き合いをしていたように思います。

それは例え相手が国会議員であっても、町内会の人であってもそうでした。


志半ばで亡くなってしまったけれど、23日わが町は隣市と合併するので市になります。

これは父が必死になって取り組んできたことでもありました。

合併協議会の町側の議員のトップの役職にも就いていました。

あ~生きていたらこの日をどれだけ喜んだことでしょう。


多くの方々とお話していて言われたこと、それは私が父に一番良く似ていると。

容姿ではありません。考え方だと思います。

私が男で、健康体であったらな~父の後を・・・ということにもなったかもしれないということでした。

確かに私は父親譲りのところが多々あります(^-^)しかし、男で健康体であっても無理無理(^^;


随分元気になったよねとあちこちの席で言われました。

皆さん日ごろ見てないようでよく見ていらっしゃるのでした。

きっとこの姿を父も喜んでくれていることでしょう。


ちょっとお酌をと挨拶に行ったつもりが、行くところ行くところで長話になってしまうので、結局1時間以上

立ちっぱなし。それもビールを持ったままなので、かなりきつかったです。

でも皆さんとゆっくりお話でき、私の知らない父のこともお聞きできてとても嬉しかったです。

やはり私は父を誇りにこの先もずっと生きていきます。


母を大事にしてあげてね!ということも多くの方から言われました。

実は昨日喧嘩したばかりなので、このことを言われて反省しました。


この一年やはり一番辛かったのは母です。

よく病気することなくいられたと思います。

父のためにも母をもっと大切にしなくてはいけないです。


亡くなって一年経った今でもこうして父を偲んで下さる方々が多くいらしゃることに感謝致します。


私は父の名に恥じぬよう生きていきたい。

どうかお父さん、見守っていて下さい。