存在意義 | 価値の最大化

価値の最大化

             

人間って、自分の存在意義を求め続ける生き物なんだと思う。

他の生物がどうかは知らないけれど、
おそらく、考えることができないから、存在意義という概念を持っていないだろう。

でも、人間は、何の因果か、考えるという能力を得た。

他の生物は本能に従って生きているが、
人間は、本能に抗う可能性を手にしてしまったのだ。

ただ本能に任せて生きるのではなく、
なぜ自分が生きるのか、すなわち、存在意義を考える必要が生じた。

でも、どれだけ考えても、自分の「内」に存在意義は見つからない。
だから人は自分の「外」に存在意義を探した。

そこで作り出されたのが宗教だろう。
宗教は偉大だ。
信じさえすれば、なぜ自分が生きるのかという答えなき問いに、唯一解を与えてくれる。

だからこそ、世界中で多くの人が、いろいろな形こそあれ、宗教を信仰してきたのだろう。

宗教だけではない。仕事もそう。
仕事をしている間は、社会に貢献している気になれる。
そして、社会に貢献しているという存在意義を感じることができる。

恋愛や結婚もそう。
相手のために生きているという実感が存在意義に繋がる。

最近流行りの社会起業もそう。
「問題」を「解決」することに存在意義を見出す。


……でも、すべては、まやかしだ。
宗教が何の根拠もない幻影を追い求めているのと同様、
仕事も、恋愛も、社会起業も、すべてが、存在意義に対して真の答えを示してはいない。

僕は宗教に存在意義を求めることを否定するつもりは毛頭ないし、
仕事や恋愛や社会起業に存在意義を求めることについても同じ。

けれど、そういったものに存在意義を求めることが「逃避」でしかないことはわかるから、
自分はそうはなりなくないと思うだけ。

考え続けること。
それだけが、残された自由だから。