ロシア革命の結果、最大人数を占めていたクラークを除いた農民階級(労働者数を凌いでいた)によってサボタージュが行われました。
そこで革命政府はサボタージュを取り締まる目的でレーニンはジェルジンスキーに命じて非常委員会を設置させ、サボタージュは革命政府と労働者階級に対する階級的犯罪であると規定しました。(戦時共産主義)。
此れは革命の目的は何であるのか?を後世に問うことになりました。
農民の反乱を防いだ革命政府は新経済政策(ネップ)を発令(革命の一時的後退)。
革命ロシアはネップによって恐慌から立直る切っ掛けとなりましたがレーニンは脳梗塞に陥り、政務から離れることに。
レーニンの後継を巡り、スターリン、ジノビエフなど党官僚集団とレーニンの遺志を継ぐトロツキーと赤軍首脳部は世界革命の続行と反革命農民層粛清を行なうべく官僚集団と対決することになっていきました。