今日は、わたしの企業人として辿ったプロセスを紹介したいと思います。
そこで何か参考となる何かがあれば幸いです。
時は昭和52年就職難時代の末期某私立大を卒業し
若いときからファッションに興味があったので
どうにかこうにか輸入アパレル商社に滑り込み
当時の就職協定は10月会社訪問解禁
11月採用活動解禁
という厳正なルール(紳士協定)があった時代。
当時確か25人の同期生と入社。
根っから頭を下げるのが嫌いで
管理部門を希望し、総務人事部門へ配属。
当時部長に言われたのは
業者を締め上げてコストを下げろ
頭を下げるのが嫌だったので
真骨頂を発揮?
いやいや当時出入りの業者は全て年配の方
なかなか言えません
そこで考えたのは船場言葉を覚え
それを使い出だしたらスムーズに商談成立。
まいど・この値段・・もうちょっとまかれまへんか
何やってまんの・・・こうなんとちゃいまっか・ちゃいまんの等々
そいうわけで業者いじめ人生のスタート
しかし管理部門は、営業と違ってなかなか評価が
出にくい。されにくい。
そこで一考・・・とにかく目立とうとしました。
時に企業は近代的な情報システム構築ばやり
元在籍した会社も汎用システムを導入。
システム開発のプロジエクト委員に選抜され
出世コースの第一歩を踏む。
これが動機付けとなり、自分でプログラムを独学で勉強
当時の大手情報システムの部長より一番センスがあると言われ
以後情報システム開発プロジエクト常連メンバー
最後にはプロジエクトリーダーを務め課長職をゲットー
時に入社13年目ノリノリバリバリ公私共々絶好調
その後会社の基幹部門の課長として
順調に出世の階段を駆け上がり
リーずもたんよう一発!! 満願・成就ではれて取締役に就任
時に44歳。
夢にまで見た取締役の椅子
1ヶ月はホールインワンをした如く
毎日ドンチャン騒ぎ
ほとぼり冷めると責任の重さを実感
取締役会では喧々諤々の口角泡を飛ばす勢いでやりあい
いつの間にか派閥が生まれ政治ショー
果ては会長派、社長派でドンパチズドーンと社長を排斥
ところが明智光秀ならぬ1ヶ月天下のうえ
戦犯要員にリストアップされ万事休止。そして退任。
南無阿弥陀仏・・・・・・合掌。
一躍奈落の底へ
普通ならここでへこむところ
がしかし、奇跡の復活を果たし
現バリューエージェント経営管理部 取締役部長 52歳で返り咲き。
以上どこにでもありそうな自叙伝でしょうが
皆さんはこの人生ゲームというべきか
人生 あがりもあればふりだしに戻る場合もありなのです。
それが人生です。
但し忘れてはならないものは
人生1回、縁あり生を受け
平等のチャンスが与えられた中で
活かすも殺すも貴方次第
伝えたいのは自分自身を磨き光らす事が出来れば
腐っても鯛という事。
皆さんがこれから先社会人になれば
悩み、苦しみ、壁にぶち当たる等々
あると思いますが人生ケセラセラ
自分自身を肉付け、骨太にしていけば
屈強な鎧をまとい向かってくる困難に対し
打ち勝つ事が出来るのではないでしょうか。