食事後、顔にご飯粒がついていても、
自分では気づくことができない。
遠くから自分の姿を鏡に映して見ても
ご飯粒が付いているのを見逃してしまうかもしれない。
見る焦点を顔以外のところにすれば見えない。
鏡が曇っていれても見えない。
心も顔と同じで、自分では自分の心の状態がよくわからない。
心理学の学問という鏡を通して、自分の心を見つめることができる。
誰か他人に指摘されて自分の心が観える。
そうでもしないと自分の心は観えない。
また、バイアスや囚われがあると
自分も他人も事象も正しく観ることができない。
意識的に正しく見ようとしても邪魔をする。
これらは、
生い立ちや体験、教育、出遭いなどによって生じている。
正しく見えていないのだから、権力を持った影響力のある人が、
このことを知らないと起こさなくてもいい不幸を巻き散らすことになる。
自分の考えを正しいと信じ込んでいるから、他に責任を転嫁することになる。
売上も利益も上がり事業が順風満帆で、世間から素晴らしいと賞賛されると、
「自分のやり方がこれで良いのか」とは疑うことは少ない。
このとき既に傲りとなっているが気づけないでいる。
「自己観照」
常に自分を見つめ直すことの必要性がここにある。
周囲の人の意見に謙虚に耳を傾けてみる。
素直になる。
感謝する。
瞑想する。
これらが鏡で自分の心を映して観ることになる。
「明鏡止水」
言うは易く行うは難し。