鬱の病を患っているA氏がいた。
鬱の人の病気による症状は ➡ 支援に値し
鬱の人の甘えは ➡ 叱責に値する。
健常者も同じで、未熟さは ➡ 支援に値し、
甘えは ➡ 叱責に値する。
ここで難しいことは、鬱になったことのない健常者には
鬱の症状がどのようなのかの判断がつかない。
病気の症状で支援が必要なのか、単なる甘えで突き離すべきか
の判断が難しい。
実際に鬱のA氏の支援をしたことがある。
「人と眼をあわすことができない」
「電話をするのが怖い」
と言う。
この症状は欝の人にはよくあるという。だからといって、
支援することが本人にとって良いことなのか?迷ったことがある。
突き放して様子を見ることにした。
そうすると、2回目には、
「他の人と眼をあわすこともできた」
「電話もできた」
A氏の症状は単なる甘えとも受け止めることができた。
今回の件で、大切なことは前向きの危機感を与えることにあると考えた。
本当の優しさとは、相手の状況をよく読み理解して、
その場のその相手の状況に相応しい手を如何に打てるか
ここで健常者が間違うのは、
こんなことできて当たり前という考え方
これは健常者の驕り以外何物でもない。
健常者にできることでも、病人にはできないことが多くあるということ
できる上司は、できない部下を理解できないのと同じで、
できる人の驕りとなっている。
病人の、できない人達の現状を観る目を養っているか!
初めてのとき、経験不足のときは試行錯誤しながら、
その状況や状態を理解することに努める以外に手はない。
このように対処することで、
病の症状には手を差し伸べ、健常者の未熟度には支援する。
甘えは叱責する。
この区別ができるかどうかが重要なことだ!
病人を回復へ向かわせることと人を育てることは同じだと気づいた。
成り行きでA氏を支援することになったが、貴重な体験をさせてもらった。