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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

5月。ハジマリの歌は『ぼくらのゆめ/いきものがかり』

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さて、幸せとは何だろう論を見かけることがある。
中には『幸せにならなきゃいけない論、見つけたい論』もあったりするが、そもそも幸せってなんだろう?なのだから、どこか雲を掴むような話でもある。

 

 

幸せとは何だろう。

いや、そう思えるのなら、なんだって良い話なのだろうな。きっと。

 

そういう前提だけれど、個人的には探し求めるものではないような気がしている。『自分探しの旅』と似た感じで。というのは、行っても見つからないわけで。探すも何も、いまここにいる自分が本当なわけで。

 

叶えた願い事もそれほど単純ではない場合もありそうだ。叶ったがゆえにというか。

 

ふむ。そう考えてみると、いまこの足元、日常にありそうな気がしてくる次第だ。想い合える相手と心穏やかに過ごす日常もそうだろうし、来週の楽しみな予定もそうだろうしで。なので、近視眼的なことが大事だったりするのではないかと。

 

また、使う言葉との因果関係も強そうだ。汚い言葉を口にしてばかりじゃ天に唾を吐くのと同じというか。

 

 

さ、GW真っ只中だ。クライアント先へ赴く日々、そして、ご依頼頂いている原稿のいくつかを必死に仕上げる日々が続きそうだが、励もう。楽しく全速力で。

『もし、〇〇したら、〇〇する(できる)』というような言葉、表現がある。

 

たとえば、こういうケースはありがちだろうけれど、個人的にはどうも穿った見方をしてしまう。

 

●時間があったら、やる(できる)
●予算が得られたら、やる(できる)
●決裁権のあるポジションに就いたら、やる(できる)


いや、その人の人格そのものやその人の全てを否定しているのではない。あくまでも、その言葉について、という意味で。

 

ようするに『条件付き』とは、どこか他者へのアピール感、中途半端感が漂う気がするのだ。意識だけは高い、的な。もし本気ならば、できる範囲で、できることから始められるからな。

 

 

本気じゃないという認識は、一つのスタート

 

時として、人は『自らの熱情はそこに向けられている』と、錯覚したいものだと思う。ゆえに、『ん?本気じゃないな』という認識は大事なんじゃないかと。

 

ようするに『本気じゃない=悪』ではなく、誰かから責めを受けるものでもなく、それもまたスタートラインというか。

 

もちろん、その先は自由だ。仕切り直し的にあらためて本気になるのも良いだろうし、違う何かだっていいわけで。

 

まったくの余談だが、熊本地震発生後、多くの人がSNS上で震災関連事をアップしている。

 

TLには、連日、その多くが並び、多くの人が胸を痛めている様子が窺い知れるが、中にはどうも穿った見方をしてしまうものもある。

 

被災者の方々へのその思いとは、他者へのアピールなんじゃ的な。オレ(ワタシ)っていいヤツでしょ的な。明らかなこうすべき論、強要論は、さすがにどうかと思うよね。

 

さ、明日も頑張ろう。全速力で。

熊本地震から数日経った。
相変わらず強い余震が頻発しているが、SNSやテレビから流れてくる画を見るたび、また、住宅関係のクライアント先もあるため、胸が痛む思いである。



さて、大災害のたび繰り返される話題がある。

いや、多くの人が持つ素朴な疑問、やるせなさ、虚しさなのかもしれないが、『支援物資が避難所に届かない問題』は、その一つだろう。『県庁をはじめ役所には膨大にあるのに、なぜ?』というように。

これに関し必ず多くの人が多くを語るのだが、今回、目に耳にした主なものは以下の通りだ。

●配送手段を考えるべき(自衛隊ヘリ、オスプレイ等)
→道路寸断により、車では物資を運べない
→物資を運ぶ車のガソリンが不足する

●マスコミ、報道陣が避難所へ取材に行く際、運べば良い
→避難所へ辿り着けているわけで

●支援物資、救援車両以外は、交通規制をかける
→国道3号線の交通渋滞を防ぐため

●避難所にいる人たち自らが物資を取りに行く
→気力、体力のある人に手伝ってもらう

●どこに行けば水や食糧等があるか、被災者に向けた情報発信をする

●職員OBを一時的な措置として受け入れ、職員を増員する
→役所に集まる支援物資の仕分けがスムーズにいかない(人手不足)

ようするに、避難所へ物資を運ぶ手段全般が練られていないという声が多いわけだが、続々と届くその仕分けとその輸送、この辺りにポイントの一つがありそうだ。

やや余談的だが、中谷元・防衛相は『自衛隊が持つヘリなどがまだ十分に活かしきれていない』と語られていたが、なぜなのだろうね。(本日、参院決算委員会での答弁)

自衛隊は約530機もの輸送用ヘリ(救難や哨戒などの用途を含め)を持つわけなので。




県や市町村の職員の方々も被災者のひとりだ。
自分のご家族をもさておき、地元のため尽力されている方も多いと思う。その中、対応の概ねを任せるのは酷な気がする。

また、担当課やマニュアル、訓練等の事前準備はあるにせよ、大混乱の現場ではなかなか機能しないのだろうとも思う。

専門外がゆえ何かを語れるわけではないのだが、地元行政に概ねを任せるのはどうなのだろうか。有事の際のスペシャリスト集団の創設、サポートがあっても良いのではないかと思うのだが。個人的には。

たとえば、輸送のスペシャリスト(自衛隊)、仕分け・運送のスペシャリスト(ヤマト、佐川等の民間会社)、さらに被災体験がある職員の方(他の地域より)による混合チーム等。(もし、既に取り組みがなされているのなら、無知なゆえ、すまない)

また、義援金という手段を通じ、自分が確実にできることをしようと思う。(支援金との選択を考えたが、やはり被災された人たちへ直接的な方が良い気がして)

一国民として、ただただ願う。一刻も早く被災された方々に支援物資が行き渡りますように、と。