主観論と常識論とは、似て非なる者 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

 

主観と常識。
たまに混合しがちだが、似て非なる者だ。

 

主観とは自分の前に広がる景色のようなものだが、世にはそれはもう様々な景色がある。

 

なのに、常識論へと昇華させるシーンを見かける時がある。単なる個人的思考や価値観を常識論へと置き換え、大いに振りかざし、他に押し付けるシーンを見かけたりも。

 

ま。エゴという人間らしさの一つなのだろうけれど、ビジネスシーンでも在ったりする。企業や店舗が使う言葉の中に。

 

たとえば、『憧れを叶えられます』、『素敵なライフスタイルを実現』という類の言葉。自社の思考や趣向、価値観を押し付けていないだろうか。

 

いや、自社(自分)のそれを明確にし、アウトプットし、生活者へ伝えるとは大事すぎることだが、あくまでも主観であることを忘れてはいけない。

 

ならば、こういう言葉を紡いだ方がよりスムーズだ。『うちが考える〇〇』、『うちが提供したい〇〇』と。さらには、『なぜ、そう考えるのか』という理由や根拠を言葉に表せば、基本的な文章構成ができる。

 

ようするに、あたかも全ての人の憧れはこう、素敵なライフスタイルとはこう、と常識論ばりな言葉を連ねると、どうもおかしく聞こえてしまうわけである。(そうは思わないですけど?的に反発をされたりも)

 

ふむ。良いではないか。『それ、いいね』と思ってくれる人と仲良くすれば。そう気の合う人が顧客やユーザー、リピーターになってくれたら。

 

なんせ千差万別であり、十人十色なのだから。世の人々は。