主観と常識。
たまに混合しがちだが、似て非なる者だ。
主観とは自分の前に広がる景色のようなものだが、世にはそれはもう様々な景色がある。
なのに、常識論へと昇華させるシーンを見かける時がある。単なる個人的思考や価値観を常識論へと置き換え、大いに振りかざし、他に押し付けるシーンを見かけたりも。
ま。エゴという人間らしさの一つなのだろうけれど、ビジネスシーンでも在ったりする。企業や店舗が使う言葉の中に。
たとえば、『憧れを叶えられます』、『素敵なライフスタイルを実現』という類の言葉。自社の思考や趣向、価値観を押し付けていないだろうか。
いや、自社(自分)のそれを明確にし、アウトプットし、生活者へ伝えるとは大事すぎることだが、あくまでも主観であることを忘れてはいけない。
ならば、こういう言葉を紡いだ方がよりスムーズだ。『うちが考える〇〇』、『うちが提供したい〇〇』と。さらには、『なぜ、そう考えるのか』という理由や根拠を言葉に表せば、基本的な文章構成ができる。
ようするに、あたかも全ての人の憧れはこう、素敵なライフスタイルとはこう、と常識論ばりな言葉を連ねると、どうもおかしく聞こえてしまうわけである。(そうは思わないですけど?的に反発をされたりも)
ふむ。良いではないか。『それ、いいね』と思ってくれる人と仲良くすれば。そう気の合う人が顧客やユーザー、リピーターになってくれたら。
なんせ千差万別であり、十人十色なのだから。世の人々は。