AI(人工知能)資本主義。
もはやこういう世だが、この流れに逆らうかのような絶望論を見かけることも少なくない。
その代表格の一つは、これだろう。『AIが人間の仕事を奪う論』。
諸国での様々な試算、そのインパクトが強いほど話題にも登るが、日本で働く人の約2人に1人は、AIに仕事を奪われるそうだ。いや、代替されると表現した方が正しそうだが。(10~20年後予想・野村総研雇用試算より)
じゃあ、AI化を止めれば雇用が守られるのかというと、そういうわけでもない。経済産業省が4月に公表した試算によると、AI化しなくとも雇用は自然減になる見込みだ。(現在の産業構造を維持した場合)
※平成27年度の国内従業者数6,334万人→(42年度予想)735万人減(1割超の雇用減)
さらに、AIに代替可能な業種での雇用が増え、低賃金化が進むという見通しもあるけれども、ふむ。AI資本主義による格差社会だな。
先の絶望論と並び、共存論も目立つ存在だ。
その代表格の一つには『少子高齢化による労働力不足の解消』が挙げられるが、協力し合えば生産性が高まるという論調だ。
たとえば、先日11/1、『AI記者』を人間記者がサポートし、書き上げたものが話題になった。
中部経済新聞の『創刊70周年 記念企画』として掲載されたものだが、AIが持つビックデータと秒単位で行う作業スピードのお蔭で、未知との遭遇級の生産力だったそうだ。
(先行する、米国をはじめとする諸国の新聞社に追いつけ追い越せというシーンの一つでもあるのだろう)
米国では、『ワードスミス』という名のAIが管理職を立派に務めている。(社員の管理や評価を行う)
『フランクへ。君は今週、2件で4万2550ドルの契約をとって、26社の潜在顧客と接触したね。素晴らしい成績だ。でも、まだ年間ノルマの達成ペースからは遅れているよ』と、普通にメールが送られてくるそうだが、公平中立な評価もすることだろう。人間上司特有の好き嫌い、差別が省かれることによって。
その他、AIプログラムには、経験し、学び、修正するというものもある。また、人の感情を理解し、対応できるベイマックス的な癒し系、介護系ロボ研究も進んでいる。
ふむ。絶望と共存、そして、希望。
なにやら一つの小説になりそうなほど面白いではないか。AI資本主義とは。