『反省なんて、しなくて良い』。
個人的には、そういう考えの持ち主である。
いや、この言葉に対する認識によるものなのかもだけれど、どうも過去にこだわるニュアンスを強く受けるので。
というのは、3つの理由から。
ひとつは、自戒の念に駆られてしまうと思うのだよね。『あの時、こうしていれば』。『あの時の、あれがいけなかった』というような。
これが過剰になれば、心理学的には自己否定(現実を受け入れられず、逃避し、善悪の判断を失う)に繋がると言われるけれど、これは好ましくない。
また、『時計の針を戻したい』と願えば、その時間は辛く、苦い。集中力や気力も欠如しそうだし、仕事に身が入らなくもなりそうだ。
二つ目は、物事とはそれほど単純ではないということ。
『どちらかが一方が悪い』ということは、概ねないというか。そういう二項対立的ではないと思うのだよね。何事も。
本当は幾つもの背景や一面が絡み合っていたりするわけで。なので、ある一人が全てを背負わなくても良いと思うのだ。
三つ目は、同じようなことを繰り返すだ。
反省とは、一時的な強い感情を伴ったりもする。もう繰り返さないぞ的な。
でも、三日坊主の可能性もあるのだよね。やがて、誰かのせい、何かのせいにして、『あれは仕方なかったことだ』と。または、『運やタイミングが悪かったのだ』という状況面に責任転換をするかもしれない。
そう捉え方を180度転換するうちに、もしかしたら、誰かを憎む感情が芽生えてしまうかもしれない。
人は苦を伴う感情に支配されることを最も嫌う。なので、転換とは精神安定剤的になり得るのだろうし、ゆえに『二度あることは三度ある』という諺があるのだろうとも思う。
ようするに、反省をしても良いことゼロだと思うのだ。
一方、こういう発想が大事なのだと思う。
『そこから何を得るか』というような。これまでの自身に足りないモノを認めることかもしれないし、カスタマイズするというか。
すれば、『あの時』とは必然的に変わるはずだ。何もかもが無意識レベルで。それゆえ良い結果に恵まれる機会が増えるだろうとも思う次第だ。(人によっては、これを『反省』と定義されるかもしれないが)
誰もが悲しむために、苦しむために、生まれてきたのではないと思う。生きる喜び、生きがいを味わうために生まれてきたとも。
だから、誰もが笑顔でいる自分を望んでいると思う。周りの人を悲しませるより、笑顔にしたいとも思っているはずだ。
古今東西、『心のありようで幸せにも不幸にもなる』と言われるが、そういうことなのだと思う。それ次第で運を引き寄せたり、常にプラスに包まれたりと。
そういうボクも、こう偉そうに言える身分でも、立場でも、人に誇れるものも何もない。ただ、考えないより考えた方がマシだと思うのと、そう心掛けるだけでも僅かに緩やかに自分の器が大きくなりそうというか。身の丈を引き上げられそうというか。そう思う次第である。
さ。いまを生きよう。柔軟に。健康に。全速力で。