やれやれだぜ。『伝える』と『伝わる』とは全くの別物なのだ | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

『そんな暇があるなら、ちゃんと仕事しろ!』的な。『ソーシャルやSNSなんて、所詮、流行もの。仕事なんかじゃねぇ!』的な。

そういう類の論調を目にすることがある。その度に『やれやれ。仕事をナメてんのはそっちだぜ』と、思う次第である。




『伝える』と『伝わる』は、全く違う


クライアント先々のスタッフの方をはじめ、ソーシャルやSNSを懸命にされている人は本気で取り組まれている。魔法の杖的な扱いじゃなく、本質を大事にされて。

たとえば、『生活者(お客さん)に共感して頂くことが大事』と言うけれど、伝わっていなければ共感もクソもない。そもそも論的にいえば、『伝えた』と『伝わった』は全くの別物なのだ。

プロフィール的な類もそうだ。
名刺を渡す。基本的なプロフィール欄をツールに設ける。本当にそれだけで伝わるのだろうか。『自分を売る』なんてできるのだろうか。概ねの場合、相当な難易度だ。たったそれだけの情報では。

思想、哲学、ミッション、理念という類も然り。
『何かを言っているようで、実は何も言っていない』というポエム化しやすい体質がある中、一度だけで伝わるはずがない。いくら小奇麗な言葉を並べてもな。

ようするに、『伝わる』ためには大変なのだ。一貫性、無数の切り口、体現、リアリティ、ライブ感、諸々と熱情と手間を掛け、そうしてようやく届き、認識して頂けるようなものだ。




企業ホームページにメッセージを載せておけば十分。そのトピックス的な欄に「〇〇のご案内」と、更新情報を載せれば十分。

マスメディアに露出さえしておけば十分。

定期発行物、新聞折り込チラシ、諸々の販促物を撒いておけば十分。

いや、そのもの自体を否定しているのではなく、『コンテンツ力』や『商品力』という幻想に思考を委ね、何とかしてくれる的な思い込みを抱く諸君の方が、仕事をナメているのだ。

ま、過去の踏襲的な自動思考。業界文化的なテンプレ集。イメージだけの販促ツール。その方が圧倒的に楽だけれどな。慣れ親しんだ作業でもあるわけで。

やや余談的だが、付加価値を生み出す源泉は創造である。言うまでもなく企業の宿命なわけだが、プロモーションシナリオを創り、ソーシャル、SNSに確かな役割を持たせ、実直に取り組むとは、日々その創造もしているのだよ。やれやれだぜ。

さ、今週は福岡遠征に書き物もいっぱい。熱情を持って頑張ろう。全速力で。