ベタだが『言葉とは偉大なり』の巻 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

言葉。周知の通り、そのポテンシャル、威力は凄まじい。
たとえ顔が見えないシーンであっても、相手の心の内が激しく伝わってくるのだから。

喜び。嬉しさ。好き。信頼。というポジティブ的なもの。ありがとう。ごめん。という気持ち。さらに、そうじゃないフリをしても察知できる、悲しみ。不機嫌さ。不快さ。嫌い。不信。というもの。

一方、自分の未来を創ることもできそうだ。自身が発した言葉をもって奮い立たせたり、思考イメージが具体化できたりと。

他者への影響力もありだね。誰かの暗く濁った心に暖色系の灯をともしたり、真っ暗闇な気持ちに一筋の光を注ぐこともできたりして。

同様に、一瞬にして心の灯を消し去ることも、刃の如く深く傷つけることも然りだろう。

ネガティブな言葉ほど人の記憶に留まり続ける傾向があると思うのだが、そういう意味でも使う言葉には気をつけたいものだよね。ま、ベタだけれど。



プロモーション、販促物上の言葉も同じだ。
企業(店舗)が何を思い、どう考えているのかが確実に伝わる。生活者(お客さん)目線であることも、自社ばっかりなことも。

何に懸命で、努力しているのかも伝わる。生活者のためなのか。自分たちのためなのか。と。

さらに、その言葉には一貫性が備わっているのか。単なる思いつき的な、洗練された美しさで着飾っただけなのか。ということも。

ようするに、言葉からは本心、心の内が透けるように伝わるわけで、根源にあるもの次第なのだよね。その根っこにある何かは演技、テクニカル、ロジカル、諸々を軽く凌駕するのだから。

ふむ。最近、ボクが使う言葉とはどういう類の傾向か。ふと、そう気になりつつ、いや、自戒にも似た感覚を伴いながら明日へ向かおう。緩やかに。
そうそう。明日は静岡遠征だ。そこへは全速力で。