いつも思うことがある。
販促シナリオ、プロモーションという類はドラマ制作と同じである、と。
1回で完結するモノ。
クォーター単位の連ドラ的なモノ。
大河ドラマ級の長編モノ。
個人的にはいずれもダブって映るのである。
クライアント先の店舗内でミーティングを行ったせいか、そこでのトークせいか。
昨夜、ホテルの一室であらためて考えていた次第だ。
さて、面白いドラマとは。
何をもってそうなのだろうか。
おそらく、ひとことでは表現しづらそうだ。
いくつものファクターから「面白い」は成り立つのだろうから。
監督をはじめ、脚本。演出。出演者の演技力。迫力。真剣さ。セット。カット。カメラワークなど。
放送前のCMや番宣も含め、総合力。
これが高いほど視聴者の「面白さ」に繋がり支持されそうだ。
そして、視聴率という数字へも表れるのだろう。
総合力とは、すべてを合わせたモノ
当たり前だけれど、あるファクターだけが素晴らしくても高まらない。総合力というものは。
CMや番宣の精度がどんなに高くても的な。
もしドラマ自体のそれが低ければ、2回目ぐらいには白けてしまいそうだ。「もう観る気がしない」と。
面白みがあって流れていくような展開もそうだろう。
机の上に置かれた時計だけがチラっと映る的な、そういう意味深なカットもそこへの工夫だろう。
販促シナリオ、プロモーションという類も同じだと、個人的には考えている。
総合力が高いモノほど消費者にとって面白みがある。
さらに支持や反応に繋がっていくと。
たとえば、チラシ、DM、ポスター、WEBという番宣的なモノだけにこだわれば良いわけではない。
いたずらに露出を高めれば良いというものでもない。
店舗もそう。
器や立地だけがどんなに良くても、というハナシでもある。
だれのためなのか
ドラマとは視聴者があって成り立つものである。
もし、そこをムシしたようなものであれば、誰もオモシロがってくれないだろう。
たとえ巨額な制作費用をかけたとしても、豪華な俳優陣を揃えたとしても。
販促シナリオやプロモーションという類も同じだ。
消費者を向いていなければ、なかなかなのである。
もし、あなたが監督だとしたら、あらゆるモノをどう活かし、どう撮るだろうか。
そういえば。
今夜に浮かぶ月は、171年ぶりの「奇跡の月」らしいよ。
(前回は江戸時代の1843年)
願いを叶えるための知恵を授けてくれる十三夜とも言うらしい。
171年ぶりか。あとで見上げてみよう。
ではでは。