セオリーには安心感を与えるチカラもある。「こうしておけば良い」と。そこに微妙さを感じてしまった。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは。

伊丹から西宮へと仕事の舞台が移る中、通称イナイチ(171号線)を西に走った。

途中、立ち寄ったのは西宮北口。
豚骨ラーメンの「一風堂」だ。

昨日も今日もラーメン。
ボクは昔からオカシナ食癖がある。

(誰のためにもならない、どうでも良いハナシなのだが)

しばらく同じようなモノを食べつづける、という「ヘン子」ぶりだ。

(関西ではオカシナ人をヘン子と呼ぶ)

というワケで「白丸元味」。








ふと、自虐的に気づいてしまった。

「こうしておけば良い」。
そう思考の筋肉を弛緩させてしまっているのでは、と。

というのは、クライアント先のスタッフさんが「コレでいきます!」と、1枚の画像データを見せてくれた。

販促物のプロフィール写真なのだが、ソーシャルツール、紙ツールを問わず、すべて「それでいく」と言われるのだ。

「だれが統一した方が良い」と言ったのか?
他ならぬボクだ。

ちなみに、その理由は単純。
たとえば、ブログ、Twitter、Facebookなどのソーシャルツールはアイコンそのもので「〇〇さん」と認識されやすい。

つまり、それぞれ統一した方がお客さまに覚えてもらいやすい。
そういう具合だ。

でも、ふと、こう思ったのだ。
「7つの写真を日替わりにしてみようか?」
そう誰かがヒラめいたとき、「いや、止めておこう」とならないか、と。

マーケティングには、それぞれセオリーのようなモノが存在する。
シナリオ、ストーリー、コンテンツなど、いずれもそう。

不変的、マニュアル的という意味ではなく、消費者に合わせてカメレオンのように変わっていく感じだ。

いっぽう、セオリーと呼ばれる類には安心感を与えるチカラもある。
「こうしておけば良い」というような。

つまり、それゆえに思考の筋肉を弛緩させてしまう場合もあるのではないか。
ヒラメキやアイデア、その回路に障害物を置いてしまうようなことも。

その辺りに、我ながら微妙さを感じた次第だった。


そういえば。
午前3時10分には天体ショー。
エクストラ・スーパームーンが観れる(予定)。

通常の16%大きく、30%明るい満月を観れるとのこと。

詳しくはNATIONAL GEOGRAPHICから





でも、雲が邪魔になりそうな気も。
いちおう、起きてようかな。

ではでは。