所属先からの独立シーンには嫌らしさが出やすい。これまでの恩義を忘れたのか?的な正論は正しいのか? | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんにちは。

岡山での仕事。
新幹線でゆるく移動中。

NHKの大河、「軍師官兵衛」にドップリはまっているせいか。
車窓からの景気が、妙に気になったりする。

今週は、いよいよ高松城の水攻めか。
忘れずに録画予約しておこう。



「今夜はシャコ三昧の予定」


ふと、思い出した。
先日した、ある一級建築士さんとの会話を。
全国に支店を構える大手社からの独立エピソードだった。

さて、所属先からの独立。
このシーンには人の持つ嫌らしい面が出やすい。
ビジネスに限らず、芸能、政治、スポーツの世界などでも。

中には「これまでの恩を忘れたのか!?」的な正論が展開されたりする。

正論がゆえ、独立する側があたかもワガママ。
義理に欠けている。
そう偏った形でクローズアップされやすい。

とはいっても「忠臣蔵」的な美談を好む趣向が、そうさせているのかもしれない。
主君に対し「こうあるべき」みたいな。

では、独立する側は恩義を感じていないのか?

いや、そういう人は少ないんじゃないかと。
「育ててくれた。お蔭でいまの自分がある。」など。
所属先のため尽力されてきたのではないかと。

では、なぜ一筋縄ではいかなかったりするのか。

それぞれ個別の事情はあるにせよ「相手は自身の鏡」。
つまり、独立する側の振る舞いは、これまでの所属先の振る舞いでもあった。

そういう言い方もできるんじゃないかと。

たんなる不平不満が恩義を超えてはならない。
が、正論を振りかざし「してやった」的な様も違和感を覚える。

経営側に立つ身のひとりとしても、個人的にも考えさせられるオハナシだった。

より相手の感情や背景に近づかなければ、ともね。

ではでは。
行ってきます。