なにをもって「上から」なのか!? | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは♪


最近読んでいた本、
「上から目線の構造(榎本博明さん)」を読み終えました。




コンサルタント佐藤琢也のオフィシャルブログ
   「これは自分の会社のことか?上司のことか?」




さてさて・・・
タイトルにある「上から目線」ですが、
たびたび、日常的にも使うコトバですよね。


「なに、あの上からの態度~」
「いつも上から言うからイヤだよな。」


と、だれかの「コトバや態度」に対して「なにアレ」・・・とね。



でも、言っている方にとっては・・・
「べつに上からじゃないよ。」、「良かれと思ってだよ。」
というケースも多々あります。


たとえば・・・
学校の先生が「親心」で教えてあげたり、
上司が「親切心」でアドバイスしたり、と。



じゃあ・・・
「何が上からで」、「何が上からじゃないんだよ」
みたいな、よく分からないハナシでもあります。



そんな中・・・
「あっ。そうか。」


正しく言うと・・・
「上から目線」とは、「相手を見ていない歪んだ目線」なんだな。
と、感じたトコロがあります。


それはこの部分。




コンサルタント佐藤琢也のオフィシャルブログ
       「なぜ店員に威張り散らすのか」


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横柄な態度、威張り散らす態度を取るお客を見かけることがある。
これがたいていは若者ではなく年輩者なのだ。


野次馬根性で耳をそばだててみると
「もういい加減にすれば。あんたが迷惑だよ。」
と、ハタから見ている周りの人も言いたげだ。


こういうお客の言っていることは
「歪んだ上から目線」と言わざるを得ない。


たぶん、会社や家でもだれからも相手にされず、
どこにも居場所がない淋しい境遇の人が
お金で客という「上から目線」が許される立場を買っている。


とりあえず客としてであれば尊重してもらえる。
多少の「上から目線」も許される。


こんな風に考えると、そこはかとなく淋しさが漂ってくる。
客としての権威にすがらざるを得ないこの種の人には
ある意味、ある種の憐みすら感じる。


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このエピソードを読んで「なるほど。」
なんとなく見えたような気がしました。


「自分の立場や都合、視線だけ」で一方的に話すと、
「歪んだ目線」=(上から目線)になるんだな。

・・・と。



ということは・・・

相手をシッカリと理解し、問題を共有する。


そして・・・

なぜ自分はそう言うのか?
と、相手と対話をした上でキチンと伝える。


こうすると・・・
歪みもなくなり、上からでもなくなるんじゃないか。
と、思った次第です。



そう考えてみると・・・


「上司と部下」、「店員とお客さん」
という「人対人の関係」じゃなくてなくても
「ヒト対モノ」でも起こり得ると思う。



たとえば・・・
あらゆる「販促物」。


もちろん「相手が見えていて、その人のことも知っていて」
という「一対一」の場合は「上から」にはなりづらいと思うけど・・・


「不特定多数」の人に言っているような感じで
「相手が誰だか見えていない場合」は・・・


「なに上から言ってんの?」
と、誤解されてしまう可能性がある、と感じます。



だから、不特定多数の人に発信する場合でも・・・


「だれに言っているのか?」
「その人は、どんな人なのか?」
「なぜ、その人に対してそう言うのか?」


と、「一対一」の関係を想定して
この辺りをシッカリと考えていきたいものです。


だって・・・
そんなつもりはないのに「誤解」されてしまったら悲しいですからね。



それにしても・・・

「上から目線」というコトバ、

ある意味「便利」で、ある意味では「難解なコトバ」でもあります。