原因は自分にある?相手にある? | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

どんなことでも、すべては必然。


「その原因は、必ずある。」


と、ボクは思うんですね。



大きなことでも、小さなことでも、

良いことでも、悪いことでもね。



そんなとき、どんな風に感じられるか?


その感じ方、捉え方が大切だな。

と感じます。



たとえば・・・


良くないことがあったとき。



「原因は、相手にある。」

と、自動的に思い込みがちですよね。


だって、自分の言い分がありますからね。



でも、そうすると・・・


考えれば考えるほど・・・


腹が立ってくる。


そんなもんですよね。



それに、そういう感情になると、
思考停止状態になりやすくなってしまう。


頭の中で解決しますからね。



逆に・・・


「原因は、自分にある。」


と思えれば・・・


思考は止まらないし、冷静に考えることもできる。



そうすれば・・・


どういう姿勢で相手に望むべきか?


どういうコトバを相手に投げかけるべきか?


どうしたら、解決できるか?


相手は、いまどんな風に感じているだろう?


そんな風に考えることができる。



なにかあったとき・・・


「原因」をどこに持ってくるのか?


それによって、その後は劇的に変わる。


そんな風に思います。



たぶん・・・


いつも「相手に原因がある」としてしまったり、


ヘタな言いワケを自分にしてしまうと・・・


いつも同じことを繰り返す。


そんな気がします。