病院で、肘に針金を通された。
病院で、鼻に、鉄の棒を突っ込まれた。
病院で、ペニスに、管を通された。
激痛がはしった。
しかし、この痛み、まだ序の口。
私は、まだ、本当の痛みを知らない…
世の中には、もっと強い痛みを抱えている
人(動植物)がいる・・・
病院で、肘に針金を通された。
病院で、鼻に、鉄の棒を突っ込まれた。
病院で、ペニスに、管を通された。
激痛がはしった。
しかし、この痛み、まだ序の口。
私は、まだ、本当の痛みを知らない…
世の中には、もっと強い痛みを抱えている
人(動植物)がいる・・・

↑写真の表題「ハゲワシと少女」
この写真は「悲劇が悲劇を呼んだ写真」である。
前々から、「ピューリッツァー賞」には疑問があった。
対象となる受賞作品は、どれも悲惨な光景。
この撮影者「ケビン・カーター」氏は、
写真を撮った後、ハゲワシを追い払った。
事後、カータ氏は、荒んだ気持ちになり、木陰まで行って
泣き始め、タバコをふかし、しばらく泣き続けたという。
この写真は、ニューヨーク・タイムズ紙に1993年3月26日
付けで掲載され、強い批判が寄せられた。。
大部分が写真を撮る以前に少女を助けるべきではないか
という人道上からのものであった。
そして、授賞式から約1ヶ月後、カーター氏は自殺した。
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(以下は私の感想)
真実をよく確かめずに、批判が殺到した。
私も、以前から、「ピューリッツァー賞」受賞作品に対し、
そんなの撮影する暇があったら、助けろよ、っと思っていた。
しかし、カーター氏の行為により、考えが改まった。
カーター氏の命を代償に…
私も、泣いた。
深遠の道無き道
締真の刃を持ち
私信と云う名の襤褸を纏い
何処へ行くのか
傷付く事を厭わず
堕ち行く事を厭わず
唯々永劫の安息を夢見
虚構の荒野を行かん
過日の何ぞ 忘るべき
-或る男からいただいた詩-
お前が無駄に
過ごした今日は
昨日死んだ誰かが
死ぬほど生きたかった
明日なんだ。
-作者不詳-
人々は社会を作り、社会に寄り添って
生きている。
この枠組みの中で
当てのない奇蹟を期待するのではなく、
病を免罪符としてでもなく、
今を受け入れ、それでも足掻き、目指すものへと
つなげたい。
たとえ一時、偶然の力を借りたとしても、
己の力を振り絞り、
精一杯生きて、死ぬことが出来るなら、
この生が無為であるとしても、誰の心に残らなくても、
僕はこの上なく満足だ。
だから僕は、生きて、死のう。
求める安らぎにたどり着く時まで、
この想いを抱き続けたい。
-或る男よりいただいた言葉-
人間とは、
自らの意志で生死を決断できる、唯一の生物。
アポトーシスとは違う。
他の生物に「意思」はあっても、「意志」はないと考える。
ということに気がついた。
標記のことを実現すると、環境破壊に著しく貢献する。
最近、世界レベルでエコとかに意識が向きはじめているが、
経済と環境は両刃の剣の要素があるため、
環境保護重視にはどうしても、ブレーキがかかっているのが
現状。
日本の環境省の方針には疑問が多く残る・・・
人口増加に伴う食糧問題、環境破壊。
お先は、真っ暗だが、滅するときはいっしょか・・・
愛ゆえに、人は苦しまなければならない。
世は無常。
戦争、天災地変。
「すべて世の中にありにくく、
我が身と住家との儚くあだなるさま、
またかくの如し。」