サウス・ジョージア島 - この島は南半球の南緯54度、西経36度の辺り、一番近い文化圏であるフオークランド諸島の南東約1,300キロに位置する面積約3,750キロメートルの英領の島である。沖縄本島の約3倍、あるいは埼玉県とほぼ同じ面積でかなり大きい島である。南北の長さ約165キロメートル、東西の幅は,約32キロで、南北に細長い。気候は寒く、島は年の3/4は雪に覆われている。樹木は生えず、植物は苔と草のみである。荒漠、索漠とした地形、厳しい気候、人は定住出来ず、従って先住民はいないし、18世紀から19世紀にかけてアザラシを求める人たちが長期滞在したが、定住には至らなかった。(後に述べるように、この島が捕鯨基地となってからも、長期滞在者は、あった。)南半球の54度は、人も住みつけない極寒の地だが、北半球では、54度以北でも都会がいくつもある。

 

人間は住みつかなかったが、20世紀に入ってから持ち込まれたトナカイは、厳しい環境に耐えて生き残り、現在もかなりの数が生息している。他にアザラシ、セイウチなどの海洋動物が生息している。ペンギン、アホウドリなど鳥類も豊富、漁業資源も豊かである。これらは、しばしば切手の図案に取り上げられている。英領の島なので、英王室の慶事なども(例:ウイリアム王子とキャサリン嬢の結婚)切手の図案になっている。

 

サウス・ジョージア島の歴史を振り返ると、この島は、17751月にキャプテン・クックにより発見されたが、その際彼は、島は英国領であると領有宣言をした。当時の英国王ジョージ三世にちなみ、サウス・ジョージアと命名された。(サウスとしたのは、既にアメリカ植民地にジョージアという地名があったからである。)以来、サウス・ジョージア島は、英領として存在してきた。しかしアルゼンチンも領有を主張しており、その結果が1982年のイギリスーアルゼンチンのフォークランド戦争となる。いち早くアルゼンチン軍が島に侵攻して占領したが、イギリスはこの島をフォークランド諸島に先んじて奪還している。この時サウス・ジョージア島を巡っては、両軍に戦死者は出なかった。フォークランド戦争のことは、日本でも詳しく報道されたので、その際にサウス・ジョージア島を巡る争いについて、お聞き及びの方々もおられるかもしれない。

 

しかしこの島は、1960年代に遡れば、日本とご縁があったのである。1963年から1965年にかけて、日本水産などを中心とする漁業会社が、サウス・ジョージア島を南氷洋の捕鯨基地としていたからである。その頃には、日本人の駐在員もいたのかもしれない。

 

20世紀に入ってから、サウス・ジョージアは世界最大の捕鯨基地になった。島の北部には、入り組んだ湾や入江が沢山あり、捕鯨船が停泊するには最適であった。この中で最大規模の基地はグライト・ヴイッケン(Grytviken)と呼ばれていた。この地に、鯨の処理工場がいくつも建設され、鯨肉の切り出し、鯨油の抽出など様々な工程が進められ捕鯨の付加価値を高めた。1909年には、島の総人口は700人を超えたとされる。その中には、家族連れの駐在者もあり、島に女性が居住していたこともある。また島での出産の記録も数件残されている。しかし彼らも長期であっても一時滞在者であり、定住の移住者にはならなかった。この時期を過ぎると、人口は徐々に減少した。1965年に捕鯨が終わると、基地や工場は閉鎖され駐在者は島から引き揚げていった。現在島の人口は2030人程度である。主な住人は、行政官、郵便局長、グライトヴイッケンにある捕鯨博物館の管理人、測候所職員、水産資源保護係官、環境保護監視人、などである。人口は20-30人だが、かつての捕鯨基地のあった北部の各地には、島で亡くなった人たち約200人の墓地がある。その中で最も有名なのは、南極探検で名をはせ、この島で1922年に亡くなったアーネスト・シャックルトン(Ernest Shackleton)である。彼のことは、いつか別途取り上げたい。

 

ところで、どうしてこのような南の果ての、人も2 - 30人しか住んでいない荒漠たる離島にこれほど関心を持つようになっただろうか。それは、この島が1944年に独自に発行した切手を目にしたからである。その頃の切手は、イギリスの切手にSouth Georgiaと加刷したものであったが、19637月から独自の切手を発行するようになった。切手収集家は、何故か絶海の孤島や遠い僻地などに憧れる傾向がある。そこに夢とロマンを見出すからだろうか。切手がそのような遥かな地とを結んでくれるからだろうか。いずれにせよ、私はサウス・ジョージア島の切手が欲しかった。しかし1963年、まだ個人の外貨送金は出来ない。外貨割り当てをもらえる切手商などおも一ポンドは、1008円の時代だから、注文品は慎重に選ぶ。なかなか絶海の孤島の切手を仕入れてくれない。八方塞がりだった。しかし思わぬ幸運が訪れた。1965年、日本の南氷洋商業捕最後の年、私の勤めていた会社が、日本の捕鯨船団向けの舶用燃料油(バンカー・オイルbunker oil)を一手供給することとなった。捕鯨船団は、グライトヴイッケンを基地として活動するという。この船団の団長さんが会社に挨拶に見えた時、担当部署の課長が、「サウス・ジョージアには切手があるそうですから、上陸されたら買って来て下さい。」と頼んでくれた。そして団長さんは、このことを忘れずに何か月か後に帰国の挨拶にまた会社に見えた際、グライトヴイッケンの郵便局で買ったサウス・ジョージアの切手をお土産として持って来て下さったのである。大変嬉しく、感激した。こうして遂に、サウス・ジョージア島の切手が手に入り、夢がかなった思いがしたのであった。

 

ところで自分で自分の夢を壊すようであるが、英領の海外領土(セント・ヘレナ、サウス・ジョージア、その他多数ある)の切手は、イギリスで作成、印刷されるのである。これら島々の切手は、イギリスにある海外領土切手販売局で額面で買うことが出来る。切手商が販売する英領離島の切手は、イギリスで仕入れた物である。だから切手を見ただけで地の果てから来た物だ、と考えるのは正しくない。

 

ただし使用済みの切手、即ち消印の押された切手は、どうしても発行している島でしか入手出来ない。サウス・ジョージア島の切手にイギリスの消印を押すことは出来ないからである。私は、長い海外勤務が終わって日本に落ち着いた90年代からは、サウス・ジョージア島やセント・ヘレナなどの離島の切手は、直接島の郵便局へ注文することにした。今は、クレデイット・カードで代金引  き落としが可能なので、1960年代のような送金の問題は、なくなった。こうして直接島から、島の切手が貼られ、島の郵便局の消印が押された封筒を受け取ることが出来た。

 

島の切手ばかりでなく、島に関する情報も得ることが出来た。切手の図案の詳細な説明、また定期的に「サウス・ジョージア便り」的なパンフレットなどが送られ、島の歴史や現状を知ることも出来た。私のお得意の「ブリタニカ

百科事典」にサウス・ジョージア島に関する記述は、ほんの僅かである。また、頼りにしている「旅行案内書」にサウス・ジョージアに関する物はない。

なにしろ人口2-30人の不毛の島なのである。上に纏めた情報は、ほとんど島から送られた情報に基づいたものである。

 

更にその情報によれば、「南極クルーズ」でサウス・ジョージアに立ち寄る人たちが増えたとのことである。そこで苦手のインターネットで「南極クルーズ」の検索をかけたが、日本の旅行社のクルーズは、南極大陸そのもの、あるいはその周辺の島々を対象にしており、サウス・ジョージア島に寄港するものは見つからなかった。それならと一番近い文化圏であるフォークランド島観光局のホーム・ページを当たって見たが、こちらはフォークランド島の観光スポットの案内ばかりだった。フオークランドからサウス・ジョージアを巡るツアは無いようだった。

 

しかしサウス・ジョージア島には空港がない。島との往来は船による。それ1300キロ離れたフオークラン島経由によるものだ。両島間には、物資補給のための定期連絡船が就航している。サウス・ジョージア島からの郵便物なども

この定期船でまずフォークランドまで運ばれるのであろう。従って、もしクルーズ以外でサウス・ジョージア島へ旅行するとすれば、まずイギリスへ出て、そこから空路フォークランド島に出る。そちらで定期便船に乗せてもらうほかは、手段は無いだろう。

 

現在、上に述べたように島には、「管理人」的な官僚ばかりが2-30人住んでいるに過ぎない。かつて世界一を誇った捕鯨基地グライトヴィッケン には、博物館の管理人以外住む人は無く、いくつもあった鯨処理工場も捨て去られ廃墟となっている。(それが切手の図案にもなっている。)1965年に日本の捕鯨団長さんが立ち寄ったグライトヴィッケンの郵便局は、すぐ近くの入江、King Edward Point()に移転した。サウス・ジョージア島からの郵便物は、今は、ここの消印が押されている。

 

切手に関心がなければ、こんなところに誰が無理してわざわざ行く気になるだろうか。切手だってイギリスで買えるのである。

 

年に一回冬に行われる島の南北徒歩横断(約165キロ)のイベントに日本の冒険家、登山家が参加されないかと思っている。あるいは、既にチャレンジした人もいるのかもしれない。たいした事はないので話題にもなっていないのかもしれないが。

 

私はとにかく、この島の「絶海の孤島」的イメージに惹かれる。島からの情報、切手の図案に見る島の風景、自然、歴史、島にかかわったシャックルトンなどの人物にも惹かれる。頭の中でどんなところか、行ったつもりで想像を巡らしている。想像だけなら、寒さにさらされないので、いいのかもしれない。

(注: 旅行事情は、コロナ以降変わっていると思われる 

    が、インターネットなどでも詳しいことは、よく

    解らない。直接フオークランドの観光局へ電話  

    するのがベストかと思う。)