数学ビルの本に使った文体
今日は数学ビルそのものの話ではなく、今度出版される本を書く際に使った文体についてお話します。
文体とは、文章のスタイル。なので、本の内容とも違います。
私の自己紹介のところに、「構築中の文体 ドライ・・・」という意味不明な箇所があると思いますが、実はそこには、深い意味があります。
この文体を捜すために、思えば時間も労力もかかりました。
たぶん、少なく見積もって15年はかかりました。
しかし核心にまで来ると そこからはほんの一瞬でした。
ただしかし、そこから実際に手に入れるまでには、さて、半年くらいはかかったかもしれません。
さらに、そこから自分のスタイルにまで落とし込むには、さらに半年くらいはかかったかもしれません。
それをここで、エレベーターピッチのように一瞬にまとめることはできなくはないのですが
それをやると、多分意味がわからなくなると思います。
また、書き出せばある程度の長さも必要になると思いますので、
ある部分のうわずみ、短めに端正に書いてみます。
私が文体を、無意識ながら捜すようになったのは、おそらく20歳くらいの頃でした。借り物ではない、自分にしかないものを、最初は創り出す気でいました。
なので、最初にやってきた最大のチャンスは逃しました。大学時代のゼミで、芥川賞作家が講師に来てくれ、コーチしてくれたにも関わらず、私はそのアドバイスを受け入れることはありませんでした。
今思えば、さぞかし生意気なヤツだったんでしょうねぇ。。。。
というのは、当時の私はどんないい文章技術でも、それを安直に取り入れるよりは、新しいものを自分自身で根底から創り上げようと考えていたからです。若さゆえに、それは不可能なことではなかったと思います
-というのは、アレキサンダー大王だって、イエスキリストだって、私が思うには、若かったからああいったことができたのだと思うからです-
しかし、結論をいうと、私はアレックスやイエスとはやはり違い、見つけられずにいました。
それからも、ずーっと漠然とは捜していたのですが、見つからずにいました。
ところが、自分の考えを一つ変えてみたら、見つかったんです。
文章を、改めて学んでみようと考えるように方向転換したら、です。
それから、さまざまなカルチャースクールからスクールへ見学に歩きました。
一番いいと思える先生を捜しに、です。
そして見つかったのが、意外にも小説家大先生ではなく、下読み人を仕事にされていて自身も小説家である、後木砂男先生でした。
この方の言われる一言ひとつぶが、私にとって大きな力になりました。先生のクラスで2年ほど学びました。
そして見つけた、そして選んだ私の文章スタイルが「ドライな文体」でした。
文章にドライとウエットがあることは、一般には知られていないことと思います。
ウエットな文体は、感情を事細かに書きます。ドライな文体では書きません。
また、ドライな文体は簡素です。ゴージャスに、形容詞・副詞をつぎ込んで飾りつくすことはしません。
ドライな文体では感情は書きませんが、描きます。
つまり、「すごくとっても楽しかった」と書かないで、すごくとっても楽しかったときのことを外面描写します。
「とってもせつなかった」とは書かないで、せつなかった場面を外面描写します。
「本当にすごく綺麗に輝いていた」とは書かないで、その輝いているそのもにを描写します。
今度出る数学ビルの本も、そういう描き方をしています。