無我の感覚


ありとあらゆるものに決して囚われない感覚と

ありとあらゆるものに決して囚われてもいい感覚がある。


これは全てに該当する。


お金を例に挙げると

お金が無くても100%幸せであり、

お金が有っても100%幸せで有る。

※体験することが重要


だからこそどちらでも良い。

どちらも否定せず肯定もしない。


ありとあらゆる感情、体験を心のままに体験していく。

そして全てを受け入れて"あえて"捨てていく。


そうすることで本物の中庸になっていく。

頭で考える中庸ではない。バランスを取るのではない。

心で成る中庸で有る。


これは体験して捨てていくことでしか

味わえない。成ることができない。


自我があるのはダルマのように

何かの出来事が起きると、

それに紐付けられた感情、記憶、知識により揺らぐ。

グラグラ揺れながらやっと中心に戻る。


これを繰り返す。


囚われてこそ、揺らいでこその学び・経験であるが

いつまでそこをループするのか。


その知識は本当に必要か。

その記憶は本当に必要か。

その感情は本当に必要か。

その常識は本当に必要か。


捨てるからこそ得られる。

捨てるからこそ如何様にも有れる。

捨てるからこそ如何様にも成れる。


もともと何も持っていなかったはずが

たくさん持つことで悩み苦しむ。

たくさん持つことで喜び笑える。


あぁ、自我があるのは素晴らしい。

あぁ、自我がないのは素晴らしい。


どちらにも成れるのはもっと素晴らしいかもね。


うれしいうれしい宇宙の仕組み。

たのしいたのしい宇宙の仕組み。