日本人も眠るローマの外人墓地 | ローマの松の木の下で・・・

ローマの松の木の下で・・・

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ローマ郊外にあるオスティエンセ地区。

 

テルミニ駅から地下鉄で10〜15分くらい。

 

 

元屠殺場だった現代美術館や、

元発電所だった古代ローマ美術館、

そしてイータリーもある、ちょっとユニークな地区だ。

 

 

そこのシンボルになっているのは

ガスタンク跡であるガゾーメトロとピラミッド。

 

 

 

 

ガゾーメトロ

 

 

 

 

 

ピラミッド

 

 

 

 

 

古代ローマがクレオパトラの古代エジプトを征服したときに、

ローマにピラミッドブームが巻き起こり、たくさんピラミッドのお墓ができたのだが、

今はこれだけが唯一残っている。

 

 

このピラミッドに、

外人墓地が(cimitero acattolico) 隣接している。

 

ここにカトリック以外のプロテスタントやユダヤ教、

自殺者や芸術家の亡骸が埋葬されている。

 

その中にはイギリスの詩人、キーツやシェリー、

イタリア共産党創設者のグラムシ、

 

近年ではシチリアの小説家カミッレーリや、

ローマの有名な俳優でコメディアンのジージ・プロイエッティなど

埋葬された。

 

 

 

 

お墓といえば、日本では忌み嫌われているが、

ここのお墓は有名人が埋葬されているだけでなく、

とても芸術的なお墓があるので、

見学に訪れる人が多い。

 

 

 

 

 

これは有名な嘆きの天使。

 

 

 

 

1894年、ストーリーというアメリカ人が、

妻を失ったときに作ったお墓なのだが、

 

最愛の妻を失った悲しみが、

お墓に膝まづいてうっぷして泣いている天使を通して、

インパクトを持って伝わってくる。

 

 

特に天使のだらんと吊り下がった手が、

なんか優美で、その悲しみをマックスに表現している。

 

 

 

 

ここに4人の日本人も眠っている。

 

 

一人は山田貢一郎という方で、

1883年に33歳で亡くなった。

 

 

翻訳家なので多分大使のアシスタントとして妻と共に来伊したのだろう。

ローマについて7ヶ月後に病気で他界している。

 

 

あとの3人は生まれたばかりの幼児のお墓。

 

 

どうも明治時代にイタリアに渡った大使の夫人が

3人子供をもうけ、

お気の毒にも相次いで子供を失ってしまったようだ。

 

 

お墓には名前だけでなく、

川で溺れたとか亡くなった経過が刻まれている物もあり、

 

人生の儚さをしみじみと感じてしまう場所であった。

 

 

 

 

 

息子S と娘ムームーの動画の中に、

ピラミッドと外人墓地が出てきます。

 

ムームー(ユーミ)の歌、フォーレの夢のあとにと、

私のピアノを聴くことができます。