とてもユーモラスなピアニスト、クリスティアン・ツィマーマン | ローマの松の木の下で・・・

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5月20日、ローマ、パルコ・デラ・ムージカのサンタ・チェチリア大ホールで、ポーランドのピアニスト、クリスティアン・ツィマーマン (ツィメルマンと表記することもある)のリサイタルを聞いた。







ベートーベン国際音楽コンクール及びショパンコンクールの1等賞に輝いた経歴がある。


初めは去年の10月にコンサート予定だったが、病気の為7ヵ月後に延期された。

10月に知らないでコンサート会場まで行ってしまい、無駄足を踏んで帰ってきた。(我が家から会場まで往復2時間程度かかる)

そういうことはよくあることなので、最近は行く直前にネットで確認してから出発するようになった。
実際その後、切符を購入していたクラウディオ・アッバード(2月にお亡くなりになってしまった・・・・)とプレーテル(かなりの高齢者)がキャンセルになった。


私にとって彼のリサイタルは今回で3回目となる。

2回目のショパン・プログラムのとき、あまりの素晴らしさにしばらく口がきけないほど感動し、それからすっかり彼のファンになってしまったのであった。

それから4年が経ってしまい、久々のリサイタルとなった。(お隣のスイスに住んでいるのでしばしば来てくれればいいのに・・・・・・)

今回のプログラムはベートーベン後期のソナタ、それも32のソナタの最後の3つの作品だ。

1819 年から 1822年、晩年、難聴が進み補聴器も殆ど役立たずになった頃書かれた。(佐村河内守と違い、正真正銘の難聴ですゾ)

そんな苦しい内面を描いてちょっと地味なソナタだ。

変奏曲ありフーガもありで、演奏者泣かせの曲ばかり。
彼がどう弾きこなすか興味深々だった。

フーガってバッハもよく使っていた形式で、過去の産物じゃないのか。
一番最後のソナタで使っている付点リズムはまさにブギウギのリズムと同じ。

さすがベートーベンさん、時代を超越してるなぁ。


ツィマーマンが登場。
1曲目のソナタ、op109 をピアノと戯れるような自然な弾き方で始めた。
私は4列目、鍵盤は見えないけど中央の割といい席に座っていた。

そしてあることに気が付いた。
譜面台があるところに楽譜を水平に置いてあるのか、時々ページをめくっていた。

普通コンサートで弾くときは楽譜を見ない。(合奏するときは例外)
以前2回位見たことがあったけど、リヒテルがめがねをかけて楽譜を見て弾いた時は、さすがの彼も年取ったのかと思ったほどだった。(でも譜面台を立てていた。あと譜めくりの人がいた)

楽譜を水平にしてどうやって見るんだろうと思ったが、曲の始まりとかポイント的にチェックしているみたいだった。


楽章と楽章の間にちょっと合間があくと、お客さんがいつものごとく、ゴホンゴホンと盛大に咳き込み始め、他の人もシーシーとやり返す。
彼もゴホンゴホンとそれを真似てふざけてみせるシーンもあった。

前回のコンサートのとき、ショパンのスケルツォの2番を弾いたのだが、早いパッセージが終わった後、曲が終わりもしないのに、変な観客がパチパチパチと拍手をしだした。(アンタ、この曲聞いたことないんですか!それにしても1分で終わるわけがないじゃないですか)
あぁあぁサスガにイタリア。 しょうがないなとばかり肩をすくめたツィマーマンさんが最初からやり直すはめになって、びっくり仰天したことがあった。

そういえばこの同じ会場で、ポゴレリッチがショパンを弾いている途中、お客の携帯が盛大に鳴り出したこともあったっけ。。。。。。

話を演奏に戻すが、さすがツィマーマン、地味なプログラムにかかわらずちっとも飽きささないで、今回も魅力的な演奏を堪能させてくれた。
ピアノで弾く所はショパン的な繊細さ、激しいところは激しく。
あとベートーベンの粗野な性格がよく現れている場所もあり、変化に飛んだ演奏だった。

今読んでいる三枝成彰氏の本「大作曲家たちの履歴書」によると
ベートーベンは歯をむきだして笑い猿のようだった。
彼のピアノの上は埃だらけで楽譜の山、ピアノの下には臭いおまるが置いてあった。部屋は汚し放題、作曲中に奇声を発し、ときには服のまま入浴していたと書いてある。


最後のソナタではブギウギのところをものすごいスピードで弾きまくり、あっという間にコンサートが終了した。

演奏が終わると「ブラボー!アンコール!!」とお客さんの熱狂的な声援が続いた。
それに答えて舞台に出てきたツィマーマンはピアノを「あぁよくやってくれた。ごくろうさん」と言わんばかりに手を広げて称えてから英語で「今日は僕の調律師が70才のお誕生日を迎えたので、彼の為になにか弾きます」と言う。
そして月光ソナタをソドミソドミと弾き始めた。
あぁいいなぁ。ステキだなぁと聞き惚れていると、それがいつの間にかパッピバースディ・ツーユー(ソッソラーソードーシー)の曲に変わっているではないか。
お客さんの大爆笑と調律師のおじさんとの抱擁でコンサートが和やかに終わった。

ツィマーマンのピアノへのこだわりは有名である。
昔ベネデット・ミケランジェリがコンサートで移動する度に自分のピアノも運んだことは有名だったが、ツィマーマンも同じようなことをするそうで、アメリカに彼のピアノを運んだ際、爆弾が入っているのではないかと疑われ、破壊された逸話も残っている。
調律師も一緒に同行するそうなので、演奏後ピアノを称えたり調律のおじさんに誕生日の曲を弾いてあげるのも納得する。

その日は早く終わったので、リサイタルのあと前回断念したサインをもらいにいくことにした。
ペルージアにいるときは毎回もらっていたが、パルコ・デラ・ムージカでは一度ももらったことがなかった。
なぜかというと、大ホールの舞台の傍の控え室に行くまで、関係者だけが入れる入り口から300メートル位、直線の廊下を通っていかなくてはならないからだ。
娘のムームーがサンタ・チェチリアの少年少女合唱団に所属しているころ何回か入ったことがある。(その廊下の両脇に練習室がある)


あと演奏終了時間が遅くなると地下鉄の終電時間に間に合わなくなり、バスを乗り継いで家に帰らなくてはならないのだが、深夜バスは出稼ぎのインド男性で一杯なので乗るのがなんだか恐ろしい。
そんなとき一度タクシーに乗ったら、法外な値段を請求されたこともある。


サインをもらいたいので舞台の袖から入っていいかどうか係員に聞くと、関係者が出てくる出口で待ってろと言う。

そこに行ってみると私の後ろで係員とのやりとりを聞いていた3人の若者が先に来ていて、関係者のみが入れるところにどんどん入っていく。
私も彼らに付いて長~い廊下を通って控え室の方に歩いていった。

控え室の前でツィマーマンが他のポーランド人らと談笑していた。

3人の若者はツィマーマンと話した後記念撮影。

それから私の番になった。
サインをしたもらった後(私持参のペンではなく、彼はわざわざ緑色のインクのペンで書いてくれた)、「 You are the best pianist for me in the world 」と言い、今回で3度目のコンサートだけど1回目は30年前にペルージアでリストの3つのコンサート用エチュードを聴いたというと、「 知らないなぁ。 だって30年前僕は生まれてなかったよ」 という返事が返ってきた。

????1956年生まれであの当時イケメンだったおにいちゃんは髪の毛もひげも完全に真っ白になってしまっている。

なぁんだ。ジョークかぁ。(笑)
傍にいたとても優しそうな中年の東欧女性(奥様だと思う・・・)
にも会釈してその場を去った。

また誰もいない長~い廊下を通って関係者専用の出口に戻ると大勢のファンが待っていた。

彼らより一足早くサインをもらい地下鉄にも乗れて、とても満足して家に帰った。






ここに知り合いの目の不自由なGさん(マッサージ業傍らフルートを吹いている)から聞いた話を紹介したい。

彼もクラシック音楽のコンサートに通うのを楽しみにしていて、いつも控え室に行って演奏家と一緒に写真を撮ったり、サインをもらったりしてくる。

今は亡きチェロの巨匠、ロストロポーヴィッチが日本に来るたびにマッサージもしてあげたそうだ。

その際いつも虎屋のようかんをプレゼントに持っていったが、あるときちょっとけちって別のメーカーのようかんを持っていったところ、ロストロさんは「 ようかんはやっぱ虎屋がいいねぇ」とおっしゃっていたそうだ。

さすがロストロさん、ようかんの銘柄にうるさいなんて相当日本通だったんだなぁと思った。