今日は、私の大好きな
竹中半兵衛という人物をご紹介します
竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)
・1544年(天文十三年) 9月11日生まれ(とされている)
・斉藤道三に仕えた父、重元(しげもと)の次男として生まれ、17歳で家督を相続し、
斉藤家に仕える。
・斉藤家3代目当主斉藤龍興(さいとうたつおき)に仕え、1563年の
新加納(しんかのう)で織田軍と戦った際には、大いに活躍し、
斉藤家を勝利に導いた。
・その後、なぜか、当主の龍興から、居城である「稲葉山城」(現在の岐阜城)
をわずか16人で乗っ取ってしまう。
織田信長に「領地を半分やるから、城をよこせ。」といわれたとき、
半兵衛はこれを拒否し、龍興を謝らせただけで城をかえしてしまう。
・その後1年間浅井家に身を寄せ隠棲生活をする。
・そして、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に仕え、秀吉の片腕として活躍する。
・1579年6月13日、半兵衛はこの頃から結核という病気になってしまい、
秀吉から京都で療養進められたが、半兵衛は自分がもう長くないことを
悟り、「どうせ死ぬなら戦場で死にたい。それが武士だ。」といって、
無理やり三木城政略戦という戦いに参加し、その途中、陣中で病気で
亡くなる。秀吉はこのとき、戦いの最中にもかかわらず、人前で
遺体に取りすがりながら、泣き崩れたそうだ。
城をあっさり返してしまうところや、「戦場で死んでこそ真の武士」ということに
こだわり続けたところがとてもかっこいいと思います
半兵衛画像集
半兵衛の肖像画。采配が似合ってます
竹中陣屋跡にある半兵衛像。一度いってみたいです
(JR垂井駅から5キロ
名神高速「関が原IC」)
兵庫県 三木市 平井山にある半兵衛のお墓。
ちなみに同じ三木市、志染町、安福田にもお墓があります。
竹中家の家紋です
九枚笹(くまいざさ)という名前の家紋です
※このブログに書いたことの中には事実とは
違ってしまっているところがあるかもしれませんが、
ご了承ください。