こんにちは

私は昨年の11月に65歳になりました。
そして1型糖尿病歴は26年目になりました。

きょうは、発症から現在に至るまでの25年間のあれこれを綴ってみました。

少し長くなりましたので、時間に余裕がある時に読んでいただければ幸いです。


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壮年期の39歳で1型糖尿病を発症し病歴は、四半世紀という一つの節目を迎えました。

自分で言うのは何なんですが‥
自分が小さかった頃の60代に比べたら 今の60代は かなり元気な世代なのでは‥と、思ってはいますが、実のところ‥右膝の痛みで正座が出来なくなって1年以上は経ってしまいました。でも 正座をしない生活をしているためか、そう不自由なく暮らしています ^ - ^。


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25年前‥

発症当初の診断書に「 IDDM 」と書いてあったのを見て、 私は「『IDDM』って、何…?」と思って調べたことがあります。

今のようにインターネットで 何でも調べられる時代ではなかったので、病気のことは、書店の医療書コーナーにある『家庭の医学』とか『糖尿病の本』くらいでしか調べられませんでしたが、

自分がどんな病気になったのか‥いろいろと調べてみたものです。

【 IDDM = インスリン依存の糖尿病 】
IDDM(insulin dependent diabetes mellitus)

糖尿病の本に書かれている内容は、私が罹患してしまった病気とは全く別の病気のような‥何か しっくりこなかったのを今でも覚えています。

糖尿病は、当時も遺伝が大きく関係していると言われていました。そのため、入院時の調書に「血縁家系に糖尿病者の有無の記入欄」がありましたが、私の近親者には糖尿病の人はいなかったことや‥他にも 生活習慣の面においても心当たりがない点で『糖尿病』と診断されても、私は腑に落ちなかったのです。

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結局、糖尿病にも種類があって、
以前は「インスリン依存の糖尿病」と
「非インスリン依存の糖尿病」と言われていたものが、いまは『1型糖尿病』『2型糖尿病』 と言われています。
その1型糖尿病者数は、糖尿病患者全体の数%とのことです。なので、知名度(認知度)が低いのも頷(うなず)けます。


糖尿病の本の内容は そのほとんどが、2型糖尿病のことが中心に書かれていて、

わたし的には、インスリンを射たなければ数日で死んでしまう死活問題を抱えた糖尿病患者に対する注射の指南書がなかったことが、長年‥しっくりこなかった理由でもありました。

でも、ここ数年前からインスリン療法が必要な人向けに『カーボカウントでの管理』が出来る様になりました。それ以前は、インスリンが必須な人も『カロリー』での管理でしたが、実際のところインスリンとカロリーの関係性は直接無かったので、血糖値の管理はとても困難な時代でしたが、数年前頃からインスリンポンプやインスリン注射が必須の人にとっては、【カーボカウント】という考え方で、かなり血糖値管理がやり易くなって、とてもありがたい時代になったなぁと思っています。

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当時『インスリン依存の糖尿病』のことを
『小児糖尿病』とか『若年性糖尿病』と 言われていた時期もあり、
39歳で発症した私は、
そう若くもない年齢で 発症したので‥この病名もわたし的にはしっくり来ず、当時はこの点でも違和感を持っていました。



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【1型糖尿病‥発症の分類】
4年ほど前 、1型の発症の分類に
『緩徐(かんじょ)進行』があると知りました。

それまでは、劇症と急性発症しか知りませんでしたが、私が発症した当時は、『緩徐進行』という分類はまだ無かったので、これを知った時には、
自分はひょっとしてこの『緩徐進行』かも知れない‥とか、勝手に思っていました。

まだ、1型糖尿病という言い方もなかった時期、医師からは、単に『糖尿病』としか告げられていなかった記憶がありますが、
発症から随分経ってから『◯◯さんは、1型糖尿病だから 血糖値の起伏が大きい… 』などと言う主治医との何気ない会話で、自分自身、『1型糖尿病』という言い方を 初めて知った次第です。


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私のまわりで 自分で注射をうっている人は見たことも聞いたこともなかったので、発症当初から数年前までは、インスリン注射をうっていることは、家族以外には、内緒にしていました🤫

そして、注射は、在宅時以外は、トイレで射つのが常でしたが、今は外出時でもトイレでうつことは少なくなりました。

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私の長年の主婦友のご主人は 2型の糖尿病で、最近 インスリン注射をうち始め、リブレセンサーも着けているそうです。

1型や2型だけではなく、すい臓を手術などで失いインスリン注射が必要になった人も、
日々、的確なインスリンを補って、
糖尿病の三大合併症の予防のために良好な血糖値管理をすることは、共通の目標です。

自分も含めてですが、みな、頑張っているんだなぁと思う日々です。


参考までに‥

【糖尿病の三大合併症】

糖尿病性腎症 ➡︎(人工透析)
糖尿病性網膜症 ➡︎(失明)
糖尿病性神経障害➡︎(末梢神経・自律神経のさまざまな障害)



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話は変わりますが‥

私よりも歳上で 今も1型糖尿病のアメブロをアップしている人は、(ひょっとしてもっと多くの人がいるのかも知れませんが)私の知る限りでは 関西の男性のブロガーUさんしか知りません。

アイコンがレッサーパンダのときから拝読しておりますが、
年齢も上で 病歴も長いUさんは、私にとっては、まるで水先案内人のような存在です。

しばらくアップがなかったので、体調が悪いのかなあ‥などと良からぬ想像をしていましたが、

『日帰り旅行で温泉に行ってきた‥!』というブログアップで、私の方が元気をもらった気分になったものですおねがい
(昨年の晩秋に下書き保存していたので、その時点での内容になっています)


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私が発症した当時、国立大学の附属病院に1.5ヶ月ほどの長期入院をしました。そこで目にしたのは、

糖尿病による壊疽で足を切断した40代くらいの男性、網膜剥離で視力を失い 今後の生活のために医師から訓練機関を薦められていた人、手足の指先の痺れなどの異常で 砂漠で灼熱の砂地を歩いているような感覚‥と言っていた4人部屋で同室だった当時50代の主婦‥

私にとっては衝撃的なことばかりでした。

いつかは私もそうなるの‥⁉︎⁈
などと、気持ちのどこかで、他人事ではないのかも知れない!…と、先は決して明るいものではありませんでした。

合併症がこわいという意識は、もうこの時から、植え付けられていたのだと思います。

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私は5年ほど前にアメブロの糖尿病ブログを目にしてから、その翌年、’17年の1月から自分もブログを始めました。
(その頃は、まだ自費扱いでリブレセンサーが日本に導入され始めた時期で、そのリブレの情報を1型の人がブログにアップしていたので、その記事 見たさにブログを始めました)


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いまも 食事ごとに注射をうったり、指に針を刺して 血液を採って血糖値を測ったり…いろんな制約はありますが、

発症前の何の制約もない自由だった生活と比較したら… それは(・・;)💦 それで…もやもや
これから一生 拘束された生活を送ることになる、毎日の注射が必須になった自分をすごく可哀想だと思ってしまうのは 当然のことだったかも知れませんが、だからと言って過去にこだわっていてもしょうがないし、元に戻せないのだから、
過去は過去、今は今‥流れに沿うしかないわけで、振り返ってみれば、25年間も過ぎていました。

実際のところは、インスリン注射は慣れっ子になっていますが、私が発症した時にちょうどペン型が登場した時でした。それ以前は、注射器でインスリンを射っていたことを考えると、私よりも
病歴の長い人の負担はかなり大きかったと思います。

【25年間の変遷】
注射針が細くなったこと、
基礎インスリンのトレシーバが出来たこと、
下降効果の出現が更に速くなった超速効型インスリンが出来たことなど、ありがたいことでした。

さらには注射針だけではなく、血糖値を測る時の穿刺針もかなり細くなりました。
穿刺針は、深さの調整も出来る様になりました。

25年前は、すでに保険扱いで個人が自己血糖測定器を使えるようになった時期ですが、測定値の結果が出るまで1分間は待たなければならなかったものが、いまは、5秒もしない内に表示されるなど、時と共に少しずつ改善されてきたことに感謝せねばとあらためて思います。

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もし、食事のインスリンを射ち忘れたら、とんでもない高血糖になってしまうことがわかっているので、射ち忘れは、滅多にありませんが、

未だに、射ち忘れたわけでも無いのに、かなり高い血糖値のときもあります。

カーボカウントでの管理も、私は大雑把なので、思う様な血糖値管理が出来ていませんが(・・;)💦、それでもフリースタイルリブレなどで 持続血糖値をリアルタイムで見ることが出来ることを介して、それなりに安定しています 。

私の場合‥ 頑張っても、頑張らなくても、
この1〜2年の
ヘモグロビンA1cは、
7.0〜7.3%をうろうろしています。



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1型発症後、2年程 経ったころ、北海道へ家族旅行に行った時、札幌のホテルに着いてゆっくり寛いでいた時のことですが、走ったわけでもないのに、じっとしていても脈拍が1分間に100回以上もあったり、手先が小刻みに震えたり‥。

旅行から帰って直ぐに、病院を受診しました。
症状と血液検査で、甲状腺機能亢進症ということがわかり、薬を服用して症状は治りましたが、薬を切ると3ヶ月程で症状が振り返してくるので、もうずーっと、1日に朝1回だけのメルカゾール5mgという錠剤を1錠のんでいます(たぶん20年以上)。

その後
『乳がん手術、腰椎除圧固定術』1型糖尿病とは直接関係のない全身麻酔の必要な手術を2回経験しました。

こんな事を書くと病気の銀座みたいですが(←年齢を感じさせる表現です(^◇^;))、これらは、1型糖尿病 発症後25年の間に起こった事で、決して短期間に起こったことではありませんが、その都度、難を乗り越え、現在に至ります。


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話は変わりますが、

名古屋市は65歳以上の希望者には有料で敬老パスを発行しています。

1年間名古屋市内の公共交通機関を
無料で利用できるので、
すでに申請して 手元に届きましたニコニコ

敬老パス‥といっても まだ ピンと来ていないので、うっかりして、普通のmanaca(交通系カード)を使いそうです(^◇^;)


いわゆる‥普通のmanaca
⬇︎

⬆︎
「敬老パス」の文字がかなり主張し過ぎ⁉︎⁈
なのではないかと!
ここまで大きくなくても良い様な‥
(ーー;)気もします
敬老パスを申請する際に自分の銀行口座を申告するのですが、敬老パスで名古屋市内の公共交通機関を利用した場合、料金が後で口座に戻ってくるシステムです。
市内でタクシーを利用した場合も、敬老パスで支払うと10%割引いてくれます。この場合も、いったん全額支払って、後日口座に戻ってきます。
(’22.7/18‥誤りに気付いて、訂正しました)
タクシー利用の場合は、料金を支払う際に
敬老マナカでお支払いします』というと、
料金から10%引いた金額を支払うのですが、
タクシー会社によっては、まだ、この制度を使えないないタクシーもあります。

manaca(マナカ)は交通系カードで2万円まで入金可能なプリペイドカードですが、
最近、マナカとコラボして
名古屋市の敬老パスは進化しました。


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人それぞれに言える事ですが…

人生、何が起こるかわからないものだという事を実感しています。

まさか…(^◇^;)💦

私の様な持病があり、全身麻酔での大きな手術を2回も経験している私を遺して、
大きな病気をした事が無かった夫が
先に逝ってしまいましたえーん



両親の介護を担っていた兄家族が、
まさかの… 介護放棄!

今は 2人兄妹の私が 
超高齢の両親を呼び寄せて、キーパーソンになって介護をしています。〈介護のキーパーソンは、診療方針の決定や介護の担い手として強い影響力を持つ立場の人を言います〉



【人生の節目節目】

私の場合、子育てが終わったら‥とか
更年期を乗り越えたら‥とか、そうした時期になった時に やっと自分自身に向き合えて、血糖値管理も上手くいって、ヘモグロビンA1c値を下げられる!‥などと先々に期待をしていました。

が、そんな事にはなりませんでした(^◇^;)。

次から次へといろんな事情が絡んで、いつになっても血糖値の管理を集中して出来る時は、来ませんでした。
そして今は‥時間がたっぷりあっても、
前向きな気力がなくなってしまいました。

生活の面て、いままで夫に頼り切っていた私が、何もかも全く独りで決めなくてはいけなくなりました。

『共に白髪まで!』など言われている様な老後を一緒に暮らすことは、出来ませんでした。

2人の子どもたち(娘と息子)は、それぞれ家庭を持って離れたところで暮らしているので、あまり頼りにすることが出来ません。

そんな状況で、
糖尿病の病歴も長くなって‥前期高齢者となりました。

老化に加えて合併症も避けて通れない時期になって来たのかなぁと思うと、やはり先は不安です。

今後、日常の生活に影響するような不調が、いきなりやって来たら、それは合併症によるものであっても、老化に伴うものであっても、自分の身はひとつなので どっちの原因からきたのか 線引きしてもしょうがないわけで‥たぶんかなり落ち込むと思います。

それでも、上手く自分の身体と付き合っていかなければならないのかなぁと思いながら 、今は97歳になった実父とのふたり暮らしをしています。

父親は、身の回りのことは ひとりで出来るのですが、耳が遠くなっているので大声で話さなくてはなりません。

洗濯も ドラム式全自動洗濯乾燥機を使って、自分の物は自分でしています。

今は、父親のクリニックの送り迎えと食事作りに気を使うことくらいです。

ちなみに、実父は’20.3月から私の家で同居し始め、丸2年が経ちました。

要介護3の実母は、昨年の秋に千葉の松戸市にある特養から名古屋市の私の家の近くの特養に施設移動することが出来ました。



(^◇^;)、長々と失礼しました。

v4-b4ぽってりフラワー