立ち合い、把瑠都のまわしを魁皇が素早くつかむ。


左四つ十分からの右上手投げに、把瑠都の巨体が大きく傾いた。


「上手を取ったし、思い切って相撲を取ろうと思って振り回してみたけどね」


 だが土俵際で残されると間髪入れない寄りも残され、あとは相手十分。


「攻めが伸び上がってしまった。最後はスタミナ切れ。ああ重かった」。


負けたとはいえ自分の相撲を取れたことに納得しているのか。 


ただ、魁皇の右上手投げといえば“伝家の宝刀”だった。


左四つ十分で右上手を引いただけで、ファンは期待の歓声を上げたものだ。


それがこの日、把瑠都に残された。「いつも通り稽古できていれば決め切れたか」。


そう聞かれて「さあ…。もうそんな力もないだろうし…」。


少しさびしそうに、つぶやいたのが印象的だった。


 八百長問題は日本人最高位に心労を強いた。


多くのモンゴル人力士が処分されたことに反発した同郷の力士が


場所ボイコットの動きを見せ、白鵬まで同調しそうになったときは、


魁皇がなだめ役に回り事なきを得たという。


震災後は協会の顔として募金活動や炊き出しに奔走。


結果、ほとんど稽古できなかったうえ、古傷の治療も思うにまかせず、


体重は初場所から9キロ減。「体がしぼんだ」と嘆いていた。


 しかし、なんだかんだでここまで7勝。千代の富士のもつ1045の


通算最多勝ち星まで、あと3と迫っている。