カーネーションの茎が津波になぎ倒され、花びらはしおれている。


八日は母の日だというのに、東北一の産地、宮城県名取市小塚原地区の


ビニールハウスは閑散としていた。


農家の三浦太さん(60)は汚泥をかき出す手を休め、つぶやいた。


「全滅だ。身内も波がさらっていっちまった。でも、あきらめだぐはねえんだ」と。 


 名取市には二十軒のカーネーション農家があり、


主に仙台市の市場に年間三千八百万本出荷しているという。


出荷額一億八千万円は全国的にみると大規模とは言えないが、東北の市町村では最も多いようだ。


 家族やパート従業員と四十二年間、花を育ててきた三浦さん。


地震の直後、まず心配したのが、停電で室温管理機能が失われること。


最盛期の母の日を控え、品質の劣化は避けたかった。


出先から急いで戻り、ボイラー室をのぞこうとしたとき、消防団員が叫んだ。「津波が来んぞ!」


 二日後、咲きかけていたカーネーションは、どす黒い泥に覆われた


無残な姿に変わっていた。


ボイラー室から重油が漏れ、数千万円した農機具はすべて破壊されていた。


 十五年間支えてくれたパートの女性(57)は、


自宅に戻ろうとして波にのまれ、行方不明になった。


花の良しあしを選別する目が確かで、「給料は安いけど体が動く限り手伝うよ」と


言ってくれる家族同然の仲間だった。


 「何もしないと気がめいるから」と、避難先の仙台市から毎日通い、


ハウス周辺を片付けている。


小塚原地区の八軒は年内の出荷を見合わせ、「別の仕事を探す」と宣言した農家もいる。


「もう、ここでは無理だ」と負けそうになるが、「俺には花作りしかねえ」と思い直す。


 子どもを育てるのと同じ気持ちで、花に接してきた。


毎年最初に咲いた花は売り物にせず、家にそっと飾った。どこかの誰かが、


母親に「ありがとう」の言葉を添えてカーネーションをささげる姿を思うと、


「ああ、よかった」という言葉が自然と心に浮かんだという。


 何もかも壊れたマイナスからのスタート。


「『国からの補助がないと農家が倒れちまう』って書いてくれ。


俺はまだまだ、やりたいって」。来年は難しいが、


再び母の日に笑顔を届けられる日まで、くじけたくないと静かに語った。