レゲエ森→石塚啓次   本並? | いつかまた・・・きっと

レゲエ森→石塚啓次   本並?

今日のジャンクスポーツに以前ヴェルディにも所属していた本並が出演していました。番組の中のインタビューで「自分がJリーグのGKの中で一番最初にヴィジュアルを意識しだした」とか言ってましたが、私にとってそれに最も該当するGKは元横浜フリューゲルスのレゲエ森こと森敦彦です。
レゲエGK森は奇抜なヘアースタイル、ファッションで有名であり、Jリーグ初期の頃は一般人にとっては最も有名なGKだったのではないでしょうか。彼はGKにしてはそれほど背が高くないのですが、抜群のセンスでフリューゲルスのゴールを守っていました。しかしある試合で長期に渡る出場停止処分を受け、試合から遠ざかっている間に現日本代表の楢崎に正GKの座を奪われ、復帰してからも目立った活躍がないまま最後は札幌の地にて引退しました。あの長期に渡る出場停止処分が無ければ森はもちろんのこと楢崎のサッカー人生も今とは全然違ったものになっていたかも知れません。サッカー選手にとっても「もし」という言葉は全く意味が無いかもしれませんが、あれほどの長期に渡る出場停止処分は後にも先にもJリーグであまり聞いたことがありません(日本リーグ時代にラモスが食らってますが)。
現在のレゲエ森さんは芸能人も御用達のバーRockSteadyを経営する傍ら、ファッションブランドWackoMariaを立ち上げています。ちなみに彼の奥さんは某カリスマ主婦であり、彼女は超が2・3個付くほどの売れっ子です。
ここで森の名前をわざわざ出したのは、WackoMariaを彼と共同でやっている石塚啓次について触れるためです。彼も知っての通り元ヴェルディの選手です。山城高校時代の高校選手権決勝で途中出場でありながらもその光景を目にしたサッカーファンを唸らせ、期待を受けヴェルディに入団しました。しかし入団して数年は風変わりなヒーローインタビュー、偶に見せるスーパープレイで少しばかり注目を浴びる程度で、それほど活躍と言える働きは見せていませんでした。そんな彼が最も輝いていたのが1999・2000年シーズンでしょう。李総監督率いるヴェルディの中で彼もようやくその眠った才能を活かし始めます。山田卓也や林といった選手もこの時期はボールを持つたびに明らかに石塚の動きを意識してプレーしており、私のような石塚ファンにとっては大変幸福なサッカーでした。2001年もプレー自体は悪くなかったのですがあの時期は何せチームもめちゃくちゃでしたから。
ただ当時のヴェルディサポの中でも石塚が嫌いな人は多い思います。モサ~としたそのプレースタイル、かつての素晴らしい(?)言動、そして悪夢のあの6月。
長身からは想像できないような巧みな技術を活かした独特のボールタッチ、そして日本人には珍しいボールキープを活かした高度なプレー。しかしながら彼のプレーは見る人にとっては全然上手く見えないようで。確かに少し前にとあるイベントで見た彼のプレーというか雰囲気は相変わらずで、大歓声が上がるようなプレーではありませんでした。時たま見せる素晴らしいプレーにも直ぐに歓声があがるわけではなく、一瞬間が開いてから「・・・・ぉおおー、すげぇ」みたいな感じでして。
ヴェルディを辞めてからは一時期、海外にテストを受けに行っていたようですが至る所で現地のスカウトやコーチからその能力に関しては賞賛の声を貰いました(アルゼンチン、イタリア、クロアチアなど)。しかし、契約には至らず悔しい思いをします。アルゼンチンでは「これほどの選手はアルゼンチンリーグでも十分に使える。日本で使えないのだとすればそれはサッカーの違いからだろう」とまで言われる始末(泣)。クロアチアではもっと凄いことを言われましたが悲しくなるので書けませんね。石塚についてはまだまだ書くネタがあるのですが、止まりそうもないのでまた次の機会にでも書くとします。まあともあれ彼は私にとってはヴェルディで最も忘れられない大切な選手の1人です。


PS
実は今日、タイトルの通りに石塚はもちろんのこと森と本並のネタをもっと大量に書いていたのですがミスって前のページに戻ってしまい、その後再び書き込み画面にしたら、自動ログアウトで内容が全部消えてしまっていた。自動ログアウトの時間早すぎですよ・・・。消えた瞬間はテンション下がったよー。
内容も大分中途半端だし・・・・。どうもすみません。