「やや運良く梯子から安全に落下した翌日、鳥取から送られてきた椎の実を実家に届けるために、車で近所を走ってT字路のところで左折するために停止すると、ちょうど右手からこちらに曲がろうとする老人の自転車が、停止した瞬間に転んで、左側灌木の垣根の中へ倒れ込むのが見えた。しかしこちらから見えるのは、自転車と老人の足だけなので、急いで車外へ出て、倒れ込んだままの老人に「大丈夫ですか?」と声をかけると、「大丈夫だ。どこも痛くない」とそのままの姿勢で小さな声で言うので、まず自転車のスタンドを立てて、両手で老人の手を掴むと、掴み返してきたので、「起こしますよ」と声をかけて起こすと、難なく起き上がった。すると老人は「すいません。旦那さんでよかった」と言うので良くみると、なんと西荻とらや肉店の大旦那であった。この人は推定年齢72歳であるが、元々背も高く骨格も良く、店内で声のよく響く人である。しかし今回は自転車用ヘルメットをつけていて頭髪部分が見えず、手を掴んだ感触も思いの外軽く、おまけに仰向けになった顔を見たことがなかったので、そのか細い声を聞いても彼とは認識できなかった。「あっ!ご主人でしたか」と言うと、「すいません。ここちょっと坂になっているので、咄嗟に足をつくことができずに、転んでしまいました」・・・・・
「お互い気をつけましょう」なんてなどうでもいいような話でもしようかと思っていたところに久し振りでやって来た画家は、最近人と話すことが足りないのか、一気呵成に自分の身辺のことを繰り返し語り始めた。70歳の彼は、自分が今トライアスロンに挑もうとしているそうで、一昨日は自転車で40km走り、昨日はトレーニングで1500メートル泳ぎ、おまけにスパにも寿司屋にも行き、年末はオーストラリアで娘家族とニューイヤーロックフェスティバルに参加し、春にはまた個展も行い、と自分がいかに健康であるかを力を込めて語る。それはそれで、最近珍しくなくはない話なので、適当に茶々を入れて面白く拝聴していると、そのうち話は彼が昨日観た『ゆきてかへらぬ』と言う、中原中也と小林秀雄と長谷川泰子の三角関係を女性の視点で描いた最近の映画の話になって、「女というものはわからない」と言うまるで昔の文学者を思わせるようなアホくさいことを話し出して、これをまともに相手にしないでいると、ついには「キミには女というものがわかっていないのだ」とか言い出すので、「馬鹿野郎、今はもう上野千鶴子がババアになっておひとり様をやっている時代だぞ」と話を打ち切ろうとすると、さらにそこでさすが芸術家ならではの、私には考えられないような告白と相談を受けた。実は映画はその話題に移すための「伏線」だったのだ。
それは25歳の女性に「プラトニック」な恋をしていることだった。
ドンガラがったーん!私は危うく自転車で転んで灌木の中ならぬ崖の下へ転落しそうになった。
老い楽の恋!しかしこれはトライアスロンとも関係があるのか。いやそうに違いあるまい。
プラトニックに肉体を鍛える?これは十代の禁断の恋とどちらが苦しいものなのか。まともに相手にしてやることはできない。
「サドやゲーテやナポレオンではあるまいし、今更何を言ってるんだ」
「いやだからプラトニックな世界の苦しみなんだよ。一度デートしたのにその後返事が来ないんだよー」
さてこれにどうしたら良いのかとの相談であるが、バカらしくてとても付き合っていられないので話を打ち切ると、壁に掛かったムチャチョの絵を見て、「これいいねえ」と言うので、「ではこれから吉祥寺の事務所に行って、もっと見てもらうかな」と言って家を出て歩いた。家を出て歩くと、画家は微妙に歩くのが遅いので振り返ると、「実は一昨日の自転車40kmがこたえて」と告白する。尻が痛いらしい。私は今日、実はこの画家にムチャチョの絵を見せたかったのだ。
事務所で、ムチャチョの絵を見せると、彼は思わず釘付けになり、これまで誰もしなかったほど長く鑑賞した。
やはり芸術家にはわかるのである。この絵の凄さが。
東京に持ってくる時に、途中静岡の芸術家に見せた時も「すごい!描いた人に会いたいもんだ」と口にした。
彼は宇宙人彫刻も気に入ったが、惜しいことに、水槽には興味を示さなかった。
絵や芸術や文学だけで、魚には興味なく、女のことはわからないようだった。
ともあれ、私はここにある作品を売って、その資金でムチャチョ夫婦の東京個展開催を実現したいと願う。
末尾ながら、高齢者のみなさん、恋と自転車の乗車には気をつけましょう。
それにしても書かねばならぬ仕事があるのになんでここでこんなことを書いてしまったのか。
それは誰にもわからない。
4日夜近地点、5日朝は満月。