災害ボランティアをしていたのに
あまりにも被害の酷さに足を踏み入れることができなく…。
生半可経験があるからこそ一度立ち入るとかえって来れなくなる恐怖。
想像される以上の現地の混乱の様子、放射能への恐怖、震度9クラスの余震、再び起きるかもしれない巨大津波への恐怖、…。

復興も進み、津波の跡が次々と撤去されるなか、ようやく被災地域に足を踏み入れました。


一番記憶に残っている南三陸の防災対策庁舎
最後まで避難を呼びかけた防災無線は多くの町民の命を救い、そして自身は3Fの防災庁舎の屋上に避難したものの屋上の床面から2mの波に流されたという。
 
防災庁舎は13mで、それまで想定していた津波に高さは6mとのことで、避難が遅れたとの話も。
いずれにしても過去の被害を超える甚大な災害だったということか。






震災直後から仮説で再開したさんさん商店街。
街の復興のシンボル。

今は本設に代わり、復興祈念公園(旧防災対策庁舎)の入り口に位置する。

ウニでいっぱいのキラキラ丼を食べたかったのだったが、夏場(5~8月)だけだったのね。
今は秋旨丼(9~10月)。もちろん堪能してきました。(^^)


次に訪れた気仙沼。
仙台からの距離が課題だったが、今は高速が気仙沼まで開通していたので思ったより早く行くことが出来た。

ツイッタの拡散を利用して、助けを求めた話。
水が使えず、プールの水を飲料水として命をつないだ大島の人々。
船舶用のタンクから流出した油が海面漂う瓦礫を巻き込み炎上。
いろんな被害がありました。

その中で旧気仙沼向洋高校(水産高校)が伝承館となっていました。
伝承館では水産高校が当時のまま保存され、津波の様子、震災後の現地の声が映像として紹介されていました。






海岸付近には3F建ての建(10m)程と思える高さの防潮堤が完成。
場所によっては建設中。
上から眺めてみると…。
た、た、高い…。
思わず足がすくみます。

震災前の防潮堤は垂直な壁が中心だったのが、東日本大震災ではその壁の下を波がえぐり、多くの防潮堤が破損した経験からだろう、
壁というより、山のようになだらかに立ち上がる防潮堤が印象的でした。

防潮堤のそばには巨大なモニュメント。
海の殉難者慰霊塔とのこと。