意中の人が頭から離れなくなり、眠れなくなった真夜中。どうしようにも抑えきれない想いに任せて書き綴った恋文は、格好つけようにも格好がつかない。其処にあるのは、ありのままを晒すほどの無防備さだ。口にすると恥ずかしくなるようなセリフだって書けてしまう。
ただし、それを相手に渡しても、想いが叶うかどうかは話は別だ。もしかしたら苦い結末となってしまうかもしれない。
そもそも渡せる確証も無いし、夜が明けて正気に返ったときに思わず破り捨ててしまうかもしれない。
ジャズ・インプロヴィゼーションはそんな真夜中の恋文みたいなものだ。
本当は恥ずかしくて言い表せない思いも音に乗せて表現する。
即興と訳されるこの振る舞いは、コード進行など一定の約束事や礼節が存在するものの、与えられた場においては自由に表現することが許される。この“表現の自由”こそインプロヴィゼーションの真骨頂でもあり、最大のリスクでもある。
だからこそ、初めに踏み出すには相当な勇気を要する。
「こんなことして嫌われたらどうしよう」
「失敗なんかしたら、恥ずかしくて死にそう」
まるで恋に恋する乙女である。
いざ、セッションタイムで自分の番が来たというのに、緊張で動けない。決死の覚悟を決めんとばかりに勢い余って音を出したはいいが、思いもよらないタイミングで情けない空気音が楽器から抜けていく始末。
「ああ、もう帰りたい。明らかに呆れられている。もう無理だ。」
惨敗して帰途につき、そのまま自室の隅で体操座りしながら至らぬ我が身を嘆いた夜は数知れず。それでもまた、セッションに繰り出してしまうのだ。まるで、フラれて散々泣いた翌日の朝に開き直るが如く。
それはきっと、想いが実ったときの喜びが見えていたからだと思う。
フィーリングが合って気持ちよく演奏が出来たり、別の演奏のお誘いを受けたりしたときには少しでも進歩を感じられる。
こうして私は20年近くジャズ・インプロヴィゼーションに想いを預けてきた。
内容を振り返ることで潜在するナルシズムを浮き彫りにされようとも、才能あるライバルの登場に打ちひしがれようとも、とにかく好きだったのだ。
やがて、あらゆる失敗と恍惚の繰り返しのなかで経験を重ねていくうちに、初めの頃の心境は薄れてくる。
ときめきが無くなったわけではないが、少し大人になり、駆け引きを覚えてくる。フレーズを選びながら相手の出方を窺う。時にはこちらから仕掛けることやちょっとしたイタズラもしてしまう。
かといって、無鉄砲に飛び込むことはしない。
アプローチして上手くいく確率も当初よりは高くなる。
しかし、今度はより深い関係を求めてしまうのだ。
薄っぺらなフレーズでは響かないと覚るほどに、目の前の相手は手強くなる。そう簡単には落とせない。乙女の恥じらいも勢いも通用しない。
一人のプレイヤーとしての円熟さまで試され、真剣さも問われる。
確かに大人になっても軽やかなやり取りや遊びの関係はある。
ただ、本気となると、生半可な色気では撃沈させられる。もう、朝になって現実と理性に支配される前に情熱を出しきった方が楽なのではないかと思うときすらある。
結局、大人になってもまた悶々としながら、それでもレベルに応じた試行錯誤は続くのだ。
どうすれば上手くいくのか、聴き手に伝わる表現に結び付くのかは、常につきまとうテーマとなる。これは時に重くのしかかり、プレッシャーとして襲ってくる。そのまま身を引いたり別の場所に向かうプレイヤーも少なくはない。
しかも厄介なことに、フレーズを綴れども綴れども実らぬ想いを抱えることの方が多い。経験として蓄積されながら、いつか昇華できないかと切ない気分にもなる。
プレイヤーも人間だ。テクニカルな部分だけでは響かないことも知っている。
悦に入ってゴチャゴチャ鳴らすことが美徳ではないことも。
1つの音で周りの空気を変えてしまう瞬間も。
何より、その人の音が、その人そのものの片鱗を滲ませてしまうことも。
そのなかで、あらゆるプレイヤーたちがインプロヴィゼーションとして想いを表現し、発しあう光景が日々繰り返されている。
かといって、ジャズ・インプロヴィゼーションの世界が敷居の高いものというわけではない。ただただ、人間くさいだけだ。
鳥肌が立つほどの才気を発するものや瑞々しくフィールドを駆け抜ける若者もいれば、リタイヤ後に新たなチャレンジを始めた人生の先輩もいる。年代も背景も違う人々が混ざり合って、その瞬間にしか出せない音を奏でる光景はジャズのほかにはなかなか見られない。
恋文はいざ書くにも渡すにも勇気がいるのと同様、受け取る側にも緊張を生むことがある。
インプロヴィゼーションについても、一見難解なフレーズを受け取ることに抵抗を感じる人もいるかもしれない。が、受け取ることで何かしらの感情や新たな視点が芽生えることもある。
一緒に恋に落ちましょうとまでは言わないが、是非プレイヤーたちの心の詰まったフレーズが奏でられる場所に足を運んで見て欲しい。楽しんでいただけることがプレイヤーたちの糧となり、今後もパワーを与えられる機会にも繋がっていくからだ。