ポジティブだけが正義ではない。 | SPACE BOX

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放浪理系ラテンジャズミュージシャン碧川サヤカ(さかいさやか)のページです。
日々の出来事や思いをつれづれなるままに。科学と日常、音楽と、好きなものを好きなだけ語ります。


(ルピシア梅田阪神限定のお茶は甘さと爽やかさが醸す陽気さで華やぎを与えてくれる。缶のイラストも一目で大阪と判る(笑)。)

いい意味で愚痴を言い合える(一方的でないのが肝)友人とのやり取りのあと。
先日出掛けた大阪で手に入れたお茶とスコーンをいただきながらふと考える。

なんで、ポジティブを演じようとするのかね。
何処に行っても周りに気を遣うあまり、好い人になろうとしたり。
無理して、気分が上がってるふりしたり。

そんなところから来る軋みで自らを傷付ける必要など無いのにね。

別のところでは、とある若者から『ネガティブってそんなに悪なんですか?俺はポジティブだけを肯定する奴を信用できないっす』と訊かれた。

ネガティブを否定することは無いだろう。
ある種の防衛本能ともいえる。何処で拝見したかは忘れたが、どなたかが『危機に晒されている状況のポジティブは却って危険』だと。例えばジュラシックパークの世界なら、ポジティブ全開ウェーイ!…と野に出ていった途端に恐竜に踏み潰されるのがオチ。
このような危機、とまではいかなくとも、ポジティブだけを採用していたら冷静な判断はできまい。ポジとネガは両輪として必要じゃないか、とその時は答えた記憶がある。

でも、周りに迷惑かけたくないからと敢えてポジティブに振る舞っては後から息苦しくなるのも分からないでもない。ネガティブだと怒られる、嫌われる…そんな苦い体験もミドリカワにだってある。寧ろ、どちらかといえば、無責任なポジティブ誘導は好ましいと思えないのだ。ポジティブさの持つ推進力だけでは、根本的なエネルギー源とはならない。エネルギー不足時における無理な推進は逆に消耗のもととなりかねない。

痛手になることは、意識的にしたい人間などまずいないであろう。
にもかかわらず、無意識では意図的に自らを傷付けながら演じることがある。求められていることと本心のギャップを知りながら、求められていることを優先している。

…そりゃ、何処かで病む可能性が高くなる。

頭でっかちでも良くないし、ただやれば何とかなるものでもない。

ともあれ、必要なプロセスとして、甘いも苦いも上手く呑めるといい。
お茶の香りにも癒されながら、ポジとネガ、双方の自分なりのバランスを認めたらいいんじゃないかと。

……そのうち、もしかしたら、どちらがどうとか、そんな拘りも笑い飛ばせるかも。