「実社会における唯一解はあるか?Ⅱ」 | AKERU-STYLE

「実社会における唯一解はあるか?Ⅱ」

前号では
学校社会ではペーパーテストで「唯一解」を

求めることになるが、
実社会では「唯一解」はなく


本人の「納得解」が唯一解ではないか

との考えを述べた。

そして、たいへん多くのご感想をいただいた。

☆それらのうちの一文(全文)を以下にご紹介する。
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正にそのとおりだと思う。

サラリーマンとしては、
まさにこの「納得解」を発見できない場合、
サラリーの多寡 とか 所属する組織の規模
という自己満足の領域で満たさなければ、
精神のバランスをとれないのでは?



偉くなればなるほど腰が低くなると
よく言われるが、納得解の本質を知る人は
当然至極 腰が低くなる。


なぜならば、
納得解を次に発展させようとすると、
自分は周囲から成長させていただいている感が
出てくるのだろうと想像する。


納得解を探す力があることは、自分に自信を

持たせることが出来る。
すると、自分が次の解を見つけるために、
常に他から学ぶ姿勢がでてくる学ぶ

姿勢がでてくるから、腰が低くなる、
と想像している。



自分で納得解を作り出せず、自分に

自信がないから、
自分以外のもので権威付けをすることに

よってバランス取をしているのでは?



様々なコメントをありがとうございました。