「スリランカ留学を想起する_PART29」
続きになるが、
1年間の留学期間も残り1ヶ月になった。
そろそろ、1年間の留学を回想していた。
何らかの総括をしたいと思い出していた。
自分は「青年外交官」だとの気概をもって
15歳でスリランカに到着したが、一体この国に
何か貢献できたであろうか。
結局できなかった。
今想起すると、内戦中に高校生にできることは
限られていた。
あったとしたら、日本大使館員が現地人を蔑視
していたので注意したこと、
ある留学団体の職員が汚職していたので
注意した(が、告発まではしきれなかった)こと
くらいだった。
地域貢献は一つだけできたと思う。
居住していたラトナプーラでバスケットボールを
普及させたことだ。
当時、ラトナプーラでは英国発祥のスポーツ
(クリケット、サッカー、ラグビーなど)のみが
ポピュラーだった。
ぼくは、小学生からバスケの選手だったので、
バスケの普及に乗り出した。
バスケができる野外コートとゴールはあったが、
そのボールとゴールネットがなかった。
誰も高価で購入できないためだとわかった。
バスで3時間かけて、首都コロンボに買いに
行った。
一件だけ、扱っているスポーツ店を見つけた。
両方で5千円ほどした。ホワイトカラーの平均
月収が1万円ほどだったから、高価なものだった。
その後、神学校出身者にはバスケの経験が
いたので、チームを組織した。大会に出たり、
初心者の子どもたちに指導したりした。
学校卒業時に、校長から直々に呼ばれ、地域で
バスケの普及に尽力したとして、表彰状を
いただいたことは、今は思い出になっている。
【続く】