「スリランカ留学を想起する_PART28」
1年間の留学期間も残り2ヶ月になった。
1984年11月には全土に対して2日間の
外出禁止令が出た。
12月には首都コロンボ 夜間外出禁止令が
出て、スリランカ政府軍兵士には、不審者を
射殺せよとの命令が出た。
人間は環境に慣れる。
もうこの頃になると、銃声が鳴り響いたり、
爆音と地揺れがあっても、動じない習慣が
付いていた。
夜中にコロンボ周辺の祭りに遊びにいくと、
ライフル銃を肩から下げている若い軍人が
路上でアヘンを吸いながら、虚ろで真っ赤な
目をしている姿に直面しても平気になっていた。
戒厳令が頻発される中、諸外国にいる日本人
留学生との文通が楽しみで、約300通を
超えていた。
アメリカのニューヨークにいる同期留学生
から手紙には、クリスマス休暇を待ち望む
街の様子や待ちきれない高校生は、
何か理由をつけてパーティー三昧をしている
と書かれていた。
オーストラリアからはカンガルーとのボクシングが
強くなったこと、ニュージーランドからはプール
付きの邸宅でドイツ人の女の子とのデートした
ことが書かれていた。
日本の同級生(高二)は、なぜかまだヤンキー
をやっていて、公道を暴走したり、女子高の前で
毎日待っていたり、夜はディスコに明け暮れたり
していた。
一方、
「象が電柱を木材と間違えて鼻で抱えたため、
電線がぶち切れて停電になり、一日中大騒動
している家庭の様子」
は、彼らには想像もつかないのであった。
【続く】